もこもこモコイ
29.Red End
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
爪が何かを切り裂く音がする。
刀が何かを切り払う音がする。
「アスラ……意識を、収束させろ。」
何かの声を聞く。
耳障りでは無い……が、煌く光が目障りだった。
――光など、要らない。
腕を横に凪いで大きく距離をとれば、錆びた鉄に似た匂いが鼻先を掠めた。
「七綺っ!」
今度は別の音を聞く。
視線を走らせれば、少し離れた場所に黒い塊。その側には、緑色の何かがあった。
そこで一瞬だけ思考が止まる。
何処かで……見た、ような……――?
『ひとしゅらくん』
耳鳴りに似た幻聴を聞く。――聞こえた気がしただけなのかもしれないが。
ひゅうと風を切る音がしたので其方を振り向けば、肩の直ぐ上を煌く何かが通り過ぎていった。
どうにも整いすぎた美貌を持つ無表情な書生が、刀を構え直しながら呟く。
「アスラ。平常に、返れ。現状のお前は、危殆でしかない、が――」
そう言って遠ざけた距離を一気に詰めれば、何の躊躇いも無い鉄爪の一撃が襲い掛かった。
ライドウは紙一重で回避し、目を伏せて呟く。
「俺は、お前を……滅したくは、無い。」
抑揚の無い声音だったが、懇願する光が彼の黒瞳に宿っていた。
しかし返されたのは打撃。ライドウが正眼に構えれば、がきん、と刃鳴り。
目の前で、火花のような閃光が一つ、二つ。
少年の笑みは益々深くなる。
歪んだ喜悦の形へと、更に――昏く。
◇ ◇ ◇
「……ア……スラ……君……」
「む、気が付いたか。ああ、そのままじっとしていろ。」
目を覚ましたモコイに、黒猫が優しく話し掛ける。
「応急処置をしたが、いかんせん傷が深い。動けば傷が開きかねんぞ。大人しくしているんだ。」
「……ゴウト、くん……が……?」
「ああ。まあ、このような身では限られているが、何もしないよりはマシだろう? それに、仲魔の召喚を七綺に要請しようにも……あれでは、な。」
モコイは顔を上げると、ゴウトの視線を追った。すればそこで台詞の意味を知る。
血と狂気の乱戦が、そこに在った。
赤い瞳を狂気に輝かせた少年が片腕を一振りすれば、地面を絶対零度の氷が走り相手に襲い掛かる。ライドウは横に駆けてそれをかわすと、懐から紙片を取り出して何事かを呟いた。
「呪言――祓詞か。」
見ていたゴウトが補足するようにそう言ったのと同時に、紙片がアスラに投げられた。
歪んだ笑みを浮かべた少年が爪で一閃すれば、バチリ、と閃光。
「――っ、人修羅くん……!」
「落ち着け! あれは攻撃したんじゃない。浄化だ。だが、瘴気が強すぎて打ち消されたんだ。」
「でも……デモッ……!」
腕の傷を押さえながら、モコイは瞳に憐憫の色を滲ませる。
「人修羅くん……人修羅くんが……――人修羅くん!」
火傷はしなかっただろうか。痛くは無かったのだろうか。
「人修羅くん! ダイジョーブ? ねぇ――ねぇ、人修羅くん……!」
モコイは彼の名前を叫ぶ。
けれど相手は振り向かない。一瞥すらも無く、ただ”敵”を目の前にして笑い踊っている。
不意に、上体を仰け反らせた。ああ、まるで哄笑するかのようだ――胸の上に青白い球体が浮かび、そして――。
「鬼神楽が来るぞ――距離を取れ、七綺っ……!」
ゴウトの声に、ライドウが平行に走れば、そこへ鞠に似た球体が地面を抉りとって落ちていく。
全ての攻撃を回避されたというのに、アスラは嘲弄を浮かべたままで、今度はゆらりと上体を傾けて両腕を広げた。
「くっ。また読んでいたか……七綺、それを受けるなっ!」
――ゼロスビート。
放たれた乱線がライドウに向かう。
それは先程の攻撃とは違い、確実に書生の後を追いかけ、外套の裾と右肩口を切り裂いた。
「七綺っっ!」
「……詮、無い」
直撃だけはどうにか免れたようだ。ライドウは足を止めると、傷を負った場所など全く気にしていない様子で、ただ無表情にアスラを見つめた。
どちらも息が上がった様子は無い。
アスラの瞳はまだ炯々と狂気の光を宿しており、爪を剥き出しにした猫のように身構えている。
攻撃を仕掛けようとしているのか、待ち受けているのか。
彼の表情は悦楽に満ちていて――ああ、本当に……愉しそう、で。
「……ひと……しゅら……くん。」
文句を言いながらも手を繋いでくれたヒト。
額を押さえながらも膝枕をしてくれたヒト。
何だかんだで、結局は我が侭に付き合ってくれたヒトだった。
ライドウも交えて、時折ゴウトも交えて、荒廃したこの世界で仲良く――楽しく、生きて、いたのに。
「ダメ……なんスよ……」
ふらり、と前に出る。
「七綺! 長引くと不利なのはお前の方だ。このままでは――……ん?」
助言に夢中だったゴウトの側を、何かが通り過ぎた感じがしたので、ハッとして其方を向けば、よろよろとよろめく緑色の者が乱戦する輪の中へ近づこうとしていた。
静止しようにも、だいぶ歩き進んでいるものだから間に合わない。
「あの莫迦者め! あんな怪我で何を……――戻って来い、モコイ! 今のアスラは正気を失っているんだ! 今度は殺されるぞ!」
「……じゃ、ナイ……、ス。」
ゴウトの怒声を背に、モコイは強く目を瞑るとあらん限りの声を出して叫び返した。
「人修羅くんはそんなヒトじゃナッシングッ!」
首を横に振り、思い切り否定してみせたところでぱっと目を開けて前方を見た。
対峙する悪魔とデビルサマナー。
ライドウはモコイに視線で「近づくな」と警告していたが、アスラの方は真っ直ぐに目の前の”敵”……ライドウを見つめており、やはりモコイには見向きもしなかった。
「う……っク――……ッッ!」
モコイは泣きそうな顔をしたが、けれどぐっと口を結ぶと一直線に駆け出した。
背後でゴウトの焦燥した怒声を聞く。
前方のライドウが眉根を寄せたように見えたのは錯覚だろうか。
モコイの目に映っていたのは、たった一人だけ。
「人修羅くん……!」
デビルサマナーに気を取られていた彼のヒトの胸に、再度飛び込んだ。アスラがぎくりとする。
「そんなキョーキなんかに負けちゃダメッスヨ! チミは強い子頑張る子ーデショー!」
「……っ!」
獣が唸るような声がした。
肌を刺す殺気が、最早これ以上ないくらいに増幅するのを感じる。
だけど――離さないと、決めたのだ。
「ねぇ、また抱っこしてヨ! 一緒におねむしてヨ! ボクはちゃんとチミの側に居るから!」
アスラが腰を落とす気配がした。
その手には、白々と発光する剣が一振り。
「死へ、誘いたる……遊戯。――モコイ。アスラより、離脱を」
ライドウが強い声でそう言い放ち、駆け寄ろうとしたが――剣閃は、それよりも速かった。
悲鳴は無い。
モコイは再び宙へ舞い、そしてライドウの背後に落下する。
どすん、と鈍い音がした。
「――モコイッ!」
ゴウトは悲痛な声を上げると、身動き一つしないその悪魔の元へ走った。同じようにしてライドウもその落下点へと駆け寄れば、モコイが短く呻いて身じろいだ。
そしてひどくゆっくりとした動作で顔を上げると、たった一人を――たったいま自分を斬り上げた人物を見つめて口を開く。
「ド……ふ、ふ……恥ずかし、がりや……さ、ん……ス、ね……デ、モー……」
痛い。
体のあちこちが。心が。
何処も彼処も激痛で軋んでいたが、それでもこれだけは言っておきたかった。
「……そういう、トコ……も……ダイスキ、スよ……――アスラ、くん……」
いつか真名を呼びたい思った。
いつ真名を呼んでみようかと考えていた。
どんなシチュエーションで、どういう風にロマンを掻き立てて、どういったムードの中で、と色々な計画を立てていたのだが――ああ、こんな形で叶うとは。
それでも……これで、良い。
「どぅ……ふ、ふ……アスラ、くん……ボクは……側、に……」
血と軽口と告白を吐き、そして少しだけ笑うと――モコイは、ぱたりと倒れた。
「モコイ! おい、しっかりしろ……モコイっ!」
「傷が、開いた……。裂傷も、深い。……ゴウト、殿。少し、距離を。治療を、する。」
「あ、ああ。頼む。頼んだぞ七綺。」
ゴウトは僅かに退くと、アスラの動向に注意しつつモコイをじっと見つめた。
なんという行動をする。
なんという無茶をする。
こうなることは判っていただろうに、どうしてこんな莫迦なことを。
ああ、ああ。
莫迦だ。莫迦だ。
それは蛮勇と言う他に無いどうにも愚かな行動だったが、最後まで真っ直ぐ立ち向かった様は見事で、褒めてやりたいと思った。
しかし、ああ。
「クッ……莫迦者、が……ッッ……――アスラァァッッ!」
なんと無慈悲な答えだろう。
黒猫は毛を逆立てると、獣というよりは人の怒りを見せて少年を振り返った。
しかし、その怒声は不意にぴたりと止まる。
理性を見失い、力に振り回されるが如く暴走していた少年はその赤い瞳から涙を流していた。
己の両手に視線を落とし、わなわなと肩を震わせて。
何かに戸惑うように、何かに怯えるように。
アスラは声も無くその場に佇み、涙を流し続けていた。