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もこもこモコイ

31.おかえりなさい

ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle


目が覚めたら何故か尻の上に緑色の物体が寝そべっていたこの状況を、先ずはどう理解すればいいのだろう。
どうやら自分はうつ伏せに眠っていたらしい。
白い壁、白いシーツ、そしてベッド。
何処か懐かしさを湛えている感触に、次第に意識がはっきりしていく。

「……あれ……ここって――」
さらりとしたそれがシーツであることに気づいた瞬間、自分はあの無人と化した病院内に居るのだと分かった。
気怠さの中で起き上がろうとすれば、身体のあちこちに鈍痛。何気なく手を持ち上げてみれば、これまた身体のあちこちに包帯が巻かれていて、それでアスラは、己がしでかした蛮行を思い出した。
狂気の内に在っても、記憶はしっかりと刻み込まれているようだ。
――何と最後まで嫌な罠。
氷川率いるシジマの勢力に捕らわれていた筈の身は、何時の間にかすっかり解放されていた。
それでも、目を凝らせば手首に薄っすら残る拘束の跡が見える。
白濁。
汚辱。
焼きついた生々しい記憶。
胸がむかつき、吐き気を覚える。
頭痛。耳鳴り。

だが、それも一瞬だった。


◇  ◇  ◇


「むにゃ……ひと……ら……くん。……らぶー……」
「……何で最後だけきっちり発音してるんだよ。」
舌が回っていないような半端な寝言が聞こえて、思わず苦笑する。不快な気分は、それですっかり吹き飛んでしまった。
こんな時まで何と暢気な、と笑える自分に泣きそうになる。
「よ……っと。」
尻の上にもっちりと寝そべっている悪魔を起こさないよう、その身体を支えて体重を腕に移してから、ゆっくりと身体を反転させて仰向けに寝転がった。
姿勢の変更は上手くいったようだ。緑色の悪魔――モコイは、半分口を開けて寝呆けている。
それにしても、怪我をしている者の尻を遠慮なく枕にしているとは一体何事だろう。
「まだ普通は添い寝とか……って。ああもう! また涎垂らしてるし!」
拭ってやろうとそろりとズボンのポケットを探るが、生憎と見つからない。
何処かへやったのだろうか? 
辺りを見回すも、今は誰も居ない。
怪我人は――アスラは、僅かに眉を顰めて溜め息を吐きつつも微笑し、独り言を零す。

「心配、かけたもんな。その代価としてみれば……しょうがないか。」
それでも、安過ぎるのだけれど。
我を見失っていた間の記憶が、蘇る。

『人修羅くん! ダイジョーブ? ねぇ――ねぇ、人修羅くん……! 』
腕に傷を負い、宙に放り投げられて地面に激突しているというのに此方をひたすら心配していた。
『そんなキョーキなんかに負けちゃダメッスヨ! チミは強い子頑張る子ーデショー! 』
鋭すぎる爪を前にして、この悪魔は恐怖しなかったのだろうか。
死の剣でその身体を薙ぎ払い、再び地面へ叩きつけた行動は嫌でも覚えている。
それでも、モコイはもう泣き出したりはしなかった。傷付いた身体を動かし、地面に倒れたままでゆっくりと顔を上げると、此方に向かって返したのは笑顔と軽口。
恥ずかしがり屋さん、と言った。
でも、そういうところも好きだ、と言った。

『ダイスキ、スよ――……アスラ、くん。』
血の色よりも更に深く昏い紅の瞳を前にしても、この悪魔は離れなかった。
全てを叩き潰す力を振りかざしても、それでも凶行を止めようとしていた。

願いを叶えたのは誰だろう。
祈りは何処へ聞き届けられたのだろう。
身内に宿っていた狂おしい何かは消え去り、アスラの身体を抱き締めるライドウと、駆け寄るゴウトを目にしたまでが気を失うまでの記憶。

「……馬鹿だよなぁ。」
一人で勝手に塞ぎ込んで、身勝手に単独行動した挙句がこの様だ。
どうにも笑うしかない。
どうしようもなく情けない。
一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたこの惨事。
運が良かったと済ますには重すぎた。

「俺の、せいで……ライドウを巻き込んで……モコイを、こんな風にして……」
寝顔は安らかだが、体中に巻かれた包帯と滲む血は、事の重大さを明確にさせていた。
その丸々した手をきゅっと握り、アスラは唇を噛み締める。
「……何やってんだろ。」
あの日、東京受胎。
ヒトがこの世界を崩壊させた。
それによって落とされたこの運命だからこそ、自分だけはそうならないようにと決めていた。
仲魔を大事にしよう、絆を大切にしよう。
ヒトに裏切られ、ヒトに置き去りにされたこの身。トモダチはもう居ない。この世界、信頼できるのは仲魔だけだった。
なのに――こうもズタズタに傷付けてしまっては、何の説得力も意味も無い。

「……結局は一緒なのかな。」
ヒトでは無くなってしまっているというのに、浅ましく愚かで――残酷な、悪魔以上のアクマ。
ヒトではなく悪魔ではなく。
「俺は、何者なんだ。」
嫌になる。厭になってしまった。
ヒトには戻れず、悪魔にもなりきれず。
ヒトとしては中途半端で、悪魔にしては紛い物で。
「俺は……俺は一体何なんだ……っ」
「――チミはアスラくんじゃないスか。」
両手で顔を覆い、軋んだ声で泣けば応えるものがいた。
胸の上、抱きかかえた悪魔が此方を見上げてにっこり。

「チミはアスラくんデショ。人修羅くんでー、アスラくん。」
「っ!? 起きたのか、モコイ。」
相手の覚醒にアスラ身を起こそうとすれば、モコイがにじりにじりと這い上がってきてそれを制止する。
「ノンノン。チミがボクを抱っこしている上に、この添い寝というエクセレントなこのシチュエーション。まだまだビーコンティニュー!」
「……。」
受け流すにも突っ込むにも、面倒くさい長台詞。
アスラは溜息を吐くと、モコイに従ったつもりは無いが仰向けに横たわる姿勢に戻った。胸の上で奇妙な含み笑いが零れる。
「どぅふーふ。流石はボクのラバー。ナイス判断だねチミ。」
「……ところでモコイ。お前はまた何で俺の臀部に張り付いていたんだ?」
問えば、モコイはアスラにぎゅーっと抱きついて。
「ダッテー。人修羅くんのお尻ってばもちもちしてて気持ち良いんだヨネー。」
「変態くさい台詞を吐くな。」
「どぅふふふふ。んもー冷たいネーチミ。」
こういうやりとりは、随分と久し振りな気がした。
馬鹿馬鹿しくて下らない――けれど、涙が出るほど胸が温かくて。
「……ごめんな、モコイ。」
片手で顔を覆ってアスラが呻けば、モコイはアスラの胸をぽんぽんと叩いて笑う。
「ノンノンノン。台詞がミステイクしてるッスよチミ。」
「……?」
更に上に這い上がり、顔を覆うアスラの手をずりりとずり下げてモコイが返すのは唯一つ。

「お帰りなさいーなの。アスラくん。」
「……ッ、モ、コイ……!」
胸の奥が、ぎゅうと締め付けられた。
ボロボロになって、傷だらけになって、それでも笑顔で催促してくるのが謝罪でないとは。
こんな甘い許しを、アスラは知らない。
たちどころに視界が滲む。
零れる涙を拭う手はモコイの身体を抱き締めて。

「……ただいま、モコイ――ただいま……!」
腕の中で、喜ぶ声が聞こえる。
アスラはモコイを抱き締めると、しばらくの間すすり泣いた。
つられたのか、それとも今まで我慢していたのか、モコイもモコイでえぐえぐと嗚咽し始める。
悪魔だろうが何だろうが、関係ない。
この温もりは確かに此処にある。
温かくて悲しくて、そして――何よりも嬉しかった。

「そろそろ良いか? ……おい、起きてるかアス――」
やがて頃合を見計らって戻ってきたライドウとゴウトが見たのは、ベッドの上で仲良く抱き合って眠るアスラとモコイの寝顔。
それはなんとも仲睦まじく、どうにも面映い光景でゴウトの視線を彷徨わせたのだが、片や書生はいつもの無表情で、アスラの胸に遠慮なく駄々漏れになっているモコイの涎を見つけると、そこへ足音無く近づいた。
「お、おい七綺。じゃ、邪魔をするのは無粋では……」
「……大事無いよう、する。」
静かな声音で答えて懐からハンカチを取り出すと、背後で戸惑っているゴウトの声を聞きつつ涎をふき取ってやる。

その眼差しは柔らかで、庇の下では絶佳の微笑が一咲き。