もこもこモコイ
32.No more...
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
「抱っこー! ひーとしゅーらくんの抱っこー!」
腕の中、抱き上げて。
歓声を上げるこの悪魔は、数日前までは大怪我を負って包帯を巻いていた。
「ドゥフフフ。この首筋! ボクを抱き上げる腕のストレングスに人修羅くんのセクシーなお顔を間近で見れるこの特権! 良いスね! 実にグッド!」
いつもならば、この辺りで「変態臭いことを言うな」だの「耳元ではしゃぐな、うるさい」などとウンザリした調子で窘められるのだが――彼の少年は、どうにも気鬱な面持ちでその悪魔、モコイを見つめるのみ。
「ネー人修羅くん。ここらでチョット落ち着いて、ティーブレイクとかしないスか。」
「……。」
普段と違う人修羅の反応に気づかないのか――気づかない振りをしているのか、モコイはそれでも勝手気ままに喋り続ける。
「ホラー、最近落ち着いてきた? って言うノ? 激励会みたいな感じデー。」
「……。」
いまだ人修羅は口を開かず。
これではまるで例の寡黙な書生を相手にしているようなものだ。(この場に彼の相棒が居たらさぞかし怒るだろうが、今は二人きりなので問題無い。)
「会費はひとり五百マグネタイトくらいデー。ネー人修羅くん。マグネタイトってチミ、ユーノウ?」
「……。」
「~~!」
流石に焦れたのだろう、モコイがそこでぷうと頬を膨らませ、人修羅――アスラの頬に手を伸ばした。
「ん? モコイ、どうし――イタタタタ!」
漸く口を開いたアスラが訊ねかけた矢先、頬をぎゅうと抓られた。その姿を見つめながらモコイが言い返すのは抗議。
「もー! さっきからナニ拗ね拗ねしてるんスか!」
「なっ……拗ねてなんかないだろ!」
「ダッテー。人修羅くんてば全然トーキングしないんスもん。」
言って、アスラの髪をちょちょいと引っ張る。
「またお悩みごとスか? ボク、相談に乗り乗りドライビン! するッスヨ。」
いつもの調子でおどけてみせれば、アスラがそこで少しだけ笑ったのでモコイは頬を抓っていた手を離した。
「ムフ。スマイルはラブアンドピースの第一歩スよ。」
「……ん。」
言われたアスラが、またもや悲しげに顔を曇らせる。
表情の陰りに気付いたモコイがまた頬を抓ろうと手を伸ばせば、その腕を掴み返された。
驚いてモコイが丸い目を更に丸くする。人修羅くんてばナンテ積極的! と一瞬ドキドキしたが、どうもそういう雰囲気ではない。
少し間を置いてから、ジッと見つめていたアスラが口を開いた。
「怪我はもう良いのか?」
「怪我? ……おう、サマナー君とゴウト君のお手当てのお蔭でこのとーりっスよん!」
ドゥフフと笑いながら両手をぐるぐる回し、モコイは元気であることを示してみせた。いつものように、きゃあきゃあとはしゃぐ。しかしアスラは眉根を寄せると、モコイの額につと触れて首を振った。
「馬鹿……この分だとまだ傷が塞がって無いだろ。……ここ、血、滲んでる。」
「エ。……あー……い、嫌っスね人修羅くんてば。ソレはボクの皺ー。」
笑ってその箇所を手で隠そうとしたモコイの手を、アスラはやんわりと掴んで離すと再度首を横に振って溜息を吐いた。
「……傷跡かそうじゃないかくらい分かるさ。見間違えるわけ無いだろ? ほら、薬塗って包帯巻いとこう。」
言って、モコイを抱え直すなりアスラは歩き出した。向かう先は仲魔たちが居るほうだ。
それに気付いたモコイは、折角の二人きりタイムなのにー、と膨れるなりじたばたと暴れて抵抗しだした。
「ンモー! 今日はデートするって言ったじゃナイスかー! ボクはもう寝たきりバッドなのー! 飽きたのー!」
「って……コラ……馬鹿……暴れ……――痕が残ったらどうするんだ!」
胸や頬を蹴り蹴りするモコイに堪えかねて――それでも抱きとめる手は爪を引っ込め、身体を優しく支えながら――アスラが声を荒げれば、それ以上の大声で以ってモコイは叫んだ。
「愛の証にしとくからダイジョブなのー! デートー! デーェートー!」
落ち着かせようにもこれでは埒が明かない。
アスラは腕の中でこれでもかと暴れる悪魔に顔を顰めつつも、ひたすら相手が落ちないよう必死で抱きとめながら説得を続ける。
「だから! お前はもう少し安静にしとかなきゃ駄目なんだって!」
「もー平気っスよー! 動けるモン! 歩けるモン! ハイダッシュでサマナーくんから逃げてこれたモンー!」
「ハイダッシュって……いや、待てモコイ。お前、許可貰ったって言ってなかったか?」
「……。」
発言の迂闊さに自分でも気が付いたのだろう、たちまちにピタリと止む暴動。ちらりとアスラを見返すモコイの顔には、「しまったー」と言わんばかりの表情が浮かんでいた。
アスラは微笑みながら、そのウッカリ発言の主の肩をがっちり掴むと、静かな声で訊ねる。
「――モコイ。」
「な、何スカ人修羅くん。」
「お前、外出しても良いって言われた、って俺に言ったよな?」
「……うん。」
「……ハイダッシュで逃げてきた、ってのはどういうことだ?」
「あー……そ、それは、スね……トークすると長くてー……。」
また今度にしない? とモコイがぎこちなく笑ってみせれば、アスラは目を細め、浮かべていた微笑をますます深める。
しかし、親愛のそれではないことは、きりきりとつりあがっていくアスラの気配で分かっていた。
モコイは狼狽する。見返した相手のその瞳の金色、混ざり始めている僅かな赤。
「ひ、人修羅くん……?」
呼びかけてみるも、相手は無言でモコイを見つめている。
気まずい沈黙。モコイは場を取り繕うため、思いつくままに台詞を吐き出していく。
「あ、あのネ、本当に黙って出てきたわけじゃナイっスよ? チャンと、書置き置きしてきたし。」
「……。」
「その、今回は、ぷちお散歩で……譲歩しちゃう、カラ。だから、人修羅くん――」
「……っで」
「……エ?」
そろそろと手を伸ばしかけたモコイを、アスラはキッと睨み付けて叫んだ。
「なんでそんな馬鹿をするんだっ!」
「……っ!」
咆哮に似た怒声に、モコイはびくりと身を竦ませた。
◇ ◇ ◇
アスラが大声を出すのは初めてではない。
それこそ、モコイが何かをする度に、何かをしでかす度に、声を張り上げたことがある。
それでも困惑や戸惑い、苦笑や微苦笑と共の大声はどれも本気ではなく、咎めや諌めに近いものばかりだった。
モコイを見つめ返す彼の瞳は赤い。
それはかつて狂気に堕ちた彼が見せた紅。
けれど、今。
血の色をした真紅ではなく柔らかな緋色に染まった瞳から零れているそれは、狂気ではなく。
「……俺のせい、なのに……何で……!」
吐き捨てた慟哭とは裏腹に、アスラはモコイを強く抱き締めた。頬を伝い流れる雫はモコイの腕の辺りを濡らし、赤を見て生じた怯えを拭い去る。
「頼むから……無理をしないでくれ。これ以上、俺のせいで傷付かないでくれ……頼む、から……」
絞る声で告げられたのは哀哭。
モコイはそれで、アスラがどれだけ自分のことを心配していたのかを知る。
「……ゴメンナサイ、アスラくん。」
流石にモコイは反省した。外見の傷は癒えたとて、内面の疵も同じように癒えているとは限らないのだ。
怪我で眠り込んでいる間、モコイはさてどうやってゴウトとライドウの目をかいくぐって抜け出そうかということばかりを考えていた。そして、彼に会ったら先ず何をしようか、何処へ連れてってもらおうか、と色々考えて、考えて。その間、怪我を負わせた相手が――アスラが、何を考え、何を思っていたのかなどは気にも留めなかった。
モコイの血で濡れた己の手に視線を落とし、茫然と涙を流していたアスラの姿をモコイは見ていない。
――そこは気を失っていて良かったと思う。
そんな光景を見ていたら、尚更悲しくなるだけだから。
ともかく、自分は少し調子に乗りすぎたらしい。
モコイはえぐと喉を鳴らして嗚咽すると、アスラの首にしがみ付いた。
「ごめんなさいぃぃぃ……」
そして謝罪の言葉と同時にアスラ以上の涙を溢れさせれば、その頭を優しく撫でる手があった。
「……ん。俺も怒鳴ったりして悪かったよ。」
泣きじゃくる悪魔の背をよしよしと擦りながら話し掛けるアスラの瞳に、もう緋色は見えない。手の甲で拭ったのか、目元は赤いが落涙も無く。腕の中の相手に顔を寄せ、優しく告げるは謝罪。
「ごめんな、モコイ。」
「ふぇ……えぇええええ……」
「……少し体が熱い。熱が出てきたな。ほら、戻るぞモコイ。」
再び抱え直してそう言えば、えぐえぐと泣き声が答えた。
「っく……デートはー?」
「……そういうのは、きちんと治してから言おうな。」
往生際の悪いその頭をぺしんと軽く叩いて、アスラは歩き出す。
「あと、ゴウトとライドウが心配して探してるかもしれないから、戻ったら謝ること。良いな?」
「……書置きしたスもんー。」
えぐり、としゃくり上げてアスラの胸に顔を押し付けるモコイに、声の主は苦笑を浮かべるも何処までも優しく語り掛ける。
「それでも、突然手紙だけ置いて居なくなるのは駄目だろ。皆お前を看病してたんだぞ。ライドウもゴウトも、仲魔の皆も。」
「……人修羅くんは?」
目を擦り、顔を上げて問い掛けたモコイに、少年は優しく笑う。
「ずっと側に居たよ。知らなかったのか?」
そう返して背を撫でる手の温かさを、モコイは覚えている。
ぼんやりとした眠りの中、時折浮上した意識が感じていた温もりとそれは全くに同じものだった。
ずっと側に居て心配そうにしていた彼のヒトの姿は、やはり夢でも幻でも無く現実だったのか。
モコイは相手の首筋にきゅうと抱きつき、顔を擦り付ける。
すれば頭上で苦笑の気配。
「帰ったらゴウトの説教だぞ。覚悟しとけよモコイ。」
「ンー……ボク、先にお布団入っとくカラー、それは人修羅くんオネガイネー。」
「……いや俺が説教を受けてもどうしようもないだろ。」
「ダッテー。ボク安静しとかなきゃダメダメっスもん。」
「じゃあ説教は元気になってからだな。」
「アスラくんのイジメっ子!」
「説教は苛めじゃない。」
ヒトの居ない世界、アスラはモコイを抱いて静かな街並みを歩いていく。
独りで歩くには静か過ぎて悲しい道も、こうも賑やかだと気にするものは何も無い。――気にする余裕が無い、というのが正しいが。
「ゴウトはともかく、問題はライドウだよな。んー……やっぱ怒ってるのかなぁ。」
「サマナーくんは平常時も冷静運転さんダカラ大丈夫っスヨ?」
「それ、ゴウトの前で言わないようにな。」
アサクサの街、雷門を潜り抜ける。通りの奥に仲魔たちは居る筈だ。
「っていうかー……むしろ最近のサマナーくんは、人修羅くんに気があるカンジっぽいんスけど。」
「あ。あそこに居るのフトミミだ――って、何か言ったか?」
「んーん。何にも無いスよー。んじゃあボクは寝るから、後はヨロシクね人修羅くん。」
慌てた様子で駆け寄ってくるフトミミに苦笑を浮かべて片手を振るアスラの横顔におやすみの挨拶を告げると、モコイはそのまま傷を癒す為の眠りに就く。
そんなモコイをフトミミに預けたこの後、アスラは不動明王よろしく待ち構えているゴウトに捕まり、詳細どころか微に入り細をうがつレベルでの尋問、及び滾々とした説教を受けるのだが――此処から先は語らずが花、である。