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もこもこモコイ

33.意識、無意識

ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle


急に身体が浮き上がった――かと思うと、首筋に何か温かいものが触れた。

「俺はお前に逢えて良かったよ、モコイ。」
「……っ! ひ、人修羅く――」
抱き上げられてキスをされたのだと分かったのは、耳元で告げられた言葉を聞いてから。
首筋をくすぐる髪の感触に、これは夢じゃないのだと判断したモコイは、感激のあまり絶句する。
なんて幸せ。
こんな贅沢感は、彼、人修羅――アスラの膝枕以来だろう。

「人修羅くん――……アスラくん、ボクもチミが……!」


◇  ◇  ◇


「チミにぞっこんベリーらぶー……スよー……」
「……。」
アサクサ大通りの道端で。
少年は、悪魔に膝上を占領されていた。
怪我が治ったらデートしてやるからそれまで大人しくしてろ、というアスラとの約束の下、この悪魔――モコイは、確かにこの数日間安静にしていたようだった。
その間、やれ一緒に寝ようだのやれ抱っこして薬を飲ませてだの、何だか子供じみた要求を遠慮なくしてきたりしたが……まあ、勝手に外出したりしなかったので由としよう。
そうして少々のことは目を瞑りつつ、数日が経過したある日のこと。
モコイは、目を覚ますなりこんなことを言ったのだ。

『下見に行こー人修羅くん! 』
モコイの包帯を外していたアスラが、は? と間の抜けた声を出した。
下見? 何の? 次の目的地へのか? 
次々に浮かぶ疑問がアスラの脳裏を占める。
ちなみに、次の目的地はカグツチ塔の最上階である。――この運命の、終着点となる場所。
そんなに全ての片をつけたいのか? 
驚くアスラのその腕をモコイはぎゅっと掴むと、独特の笑い声を上げて言った。
『デートの下見ッスヨ、しーたーみ。事前リサーチはチミ、コレ、デートのジョーシキッスヨ? 』
『……。』

ああ、成程。

――そうして。
アスラが呆れながらも、渋々それに付き合った一日の終わりのことだった。
ひとりで散々きゃあきゃあとハイテンションでいたのもあってか、モコイはアサクサの町へ戻ってくるなり倒れてしまう。

「……モコイッ!」
アスラは青褪めた。やはり体調は万全ではなかったのだ。ああ、何故自分は止めなかったのだろう、と唇を噛みながら側へ駆け寄ったのだが――……。
モコイは無事だった。抱き起こしたその顔は血色が良く、その口からは涎を垂らしている。呼吸も規則正しく、「倒れた」のではなく「眠りに落ちた」だけであることが解かった。
「この……馬鹿……!」
へなへなと脱力する。そういえば前日やけにはしゃいでいてゴウトに怒られていたのだったか。
アスラは青褪めた顔のままモコイを抱き上げると、そのまま道端へ寄った。
物影に腰を下ろし、一息つく。
先程、モコイが倒れた瞬間を見て心臓が止まるかと思った。
手が震えている。
それ程に、怖かったのだ。

「……馬鹿モコイ。」
呻き、アスラは膝上の悪魔を見下ろした。
膝上の悪魔はコチラの心中に関係なく、実に幸せそうに眠りこけている。
こんな顔を見せられては怒れない。怒れるわけが無い。

――ああ。何も無くて、本当に良かった。
アスラはやれやれと苦笑すると、モコイの頭をそっと撫でる。悪魔らしからぬ悪魔。本当に世話が焼ける。いや焼かせてくれるというべきか。
膝の上に抱き上げれば、ぱかりと開いた口から涎が垂れていた。
あっ、と思ったが――時既に遅し。アスラの膝はぐっしょりと濡れてしまう。

「うわ、もう……この……っ!」
わななくアスラ。取り合えず顔の向きを少しだけ膝の外に出して涎の流れを変えてみたが、膝は冷たいままである。
本当ならモコイを起こすべきなのだが――もう少し、あと少しだけ寝かせてやりたかった。
俺も甘くなったなぁ、とアスラは苦笑する。
どうしようかな――と、途方に暮れかけたその時だった。

「……戻ったか、アスラ。」
通り掛かったのは、恐ろしいほどの美貌を持ちながらも常に無表情なデビルサマナー。
際限なく涎を流しながらアスラの膝の上で眠るモコイの姿を見つけると、首を傾げて言った。
「……彼の垂涎によって、お前の膝が、濡れて在る……が。」
ライドウの指摘に、膝枕の主は、げんなりというかうんざりというか、とにかく何かを諦めたような顔をして笑う。
「ああ、うん……膝が冷たい。」
首肯した後に身動きしないのは、眠るモコイに気を遣っているからか。それに気付いたライドウが代わりに距離を詰めてくると、動かないアスラにそっと片手を差し出した。
「……此れ、を。」
「ん? ああ――有難う。」
差し出されたのは白いハンカチだった。微かに香る石鹸の匂いのするそれを、アスラは苦笑と共に受け取る。
「ほんと、助かったよ。どうしようかと思ってたんだコレ。」
そう言ってハンカチで己の膝を盛大に濡らしている涎を拭きつつ嘆息したアスラに、ライドウが首を傾げて口を開く。
「……何故、仲魔の招請を、しなかった。」
「んー……それでコイツが起きたらマズイだろ? それにさ……。」
「……それに。」
どうした、とライドウが相変わらず疑問符を付けない声音で訊ねれば、アスラは小さく笑って。

「何か幸せそうな顔してるから、このまま寝かせてやろうと思って。」
だらだらと涎を零す口を押さえて閉じたその手の動きは、傍から見ても優しいものでいた。
困りながらも、それを許すヒトの眼差しは温かくて。

何故――このように確かな”ヒト”が、悪魔などに。

「……アスラは、厭わないのか。」
不意に、ライドウが静かな声で問い掛けを放った。
寝涎の治まったモコイの頬を軽く摘んで仕返しめいていたことをしていた少年が、その質問に顔を上げる。
「ん? 厭うって……モコイをか?」
そんな今更、と笑うアスラに、彼の書生はゆるりと首を横に振って言う。
「否。……己が運命、を。」
「ん……。」
端的な質問だった。以前ならば首を傾げていただろう物言い。けれど今のアスラには、ライドウが何に対して訊ねているのか理解出来ていた。
アスラは、ぽつりと呟く。
「運命、かぁ。」
ハンカチを膝に置き、そうして空手になった手の平はヒトの形そのまま。
だが、肌を刻む模様が、首の後ろに出現した突起が、己がヒトではないことを――悪魔となったことを、嫌でも教えてくれる。地面に散らばる砕けたガラス片に、鏡面の建物の壁に、己の姿が映る度に、思い知らされるのだ。

――この運命は、自分で望んだわけじゃない。
選択肢など最初から無かった。
崩壊した世界、悪魔に堕ちた運命。
生きてきた過去、曖昧な夢。漠然とした未来すらも失って、厭わないわけが無い。
現に、最初の頃――悪魔になったばかりの頃は、全てに絶望していた。

「……煩いが、酷いならば……彼のものは、封管しておくが。」
アスラの表情に僅かに落ちた陰鬱な影をどう受け取ったのか、ライドウが胸元の装具に手を伸ばしてそんな提言をした。抑揚の無い声ではあったが、どうやら心配しているらしい。
過去に没頭して長く沈黙しすぎたか。
アスラは首を振って苦笑する。
「いいよ。もう慣れたし。」
それに――とモコイに視線を落とすと、くすりと笑って。
「”監禁”するよりは、ずっと良い――だろう?」
それは以前、ライドウが口にした言葉だった。
当初のモコイは非常に落ち着きが無く――アスラに夢中だったのだ――それがゴウトを苛立たせ、アスラが頭を悩ませていたことがある。
その時に、ライドウが抱っこ紐の使用を持ち出した。
アスラは当然ながら渋ったのだが、その時にライドウが言ったのだ。
「”監禁”よりは、ずっと良い」と。
面倒ごとを押し付けられる形になったアスラはそんなライドウを少しだけ恨んだりしたものだが、それも今は”面白い”想い出だ。

「それにな、ライドウ。俺はこの環境に居るのが嫌じゃないんだ。」
そう言ってモコイの頭を撫でるアスラに、ライドウは目を細める。
「……アスラは、寛厚だな。」
「ん~? かんこう~?」
帽子の庇を押し下げて微かな笑みを浮かべたライドウに、果たして彼は気付いただろうか。
涎を拭い終わったハンカチを折り畳んでいたアスラは再びライドウを見上げると、右手を上げて。
「あ、ハンカチ。洗ってから返すから。」
「否……構わない。」
ライドウが首を振り、ハンカチを持ったアスラの手を制した。
そして、何故か己のハンカチ――ではなくその手の主を見つめたまま、距離を詰めてくる。

「……ラ、ライドウ?」
膝の上にモコイを寝そべらせている為に、アスラはその場から動けない。
近距離から、ぞくりとするほど美しい相貌が見つめてくる。
「あの……? どうした、ライドウ?」
握られた手を意識する。その手はひやりと冷たいのに、そこから熱が上昇するような錯覚を起こしてしまう。多分、いま自分の顔は赤くなっているなと思った。

「……アスラ。」
ライドウが名を呼んだ。
ハッと伏せていた視線を上げれば、美しい書生は微笑んで。
「アスラは……良き、伴侶に……なれる。」
「う、うん――?」
伴侶って、あの伴侶? 
アスラは思いつくままに、その音に関する他の単語が無いかざっと探してみた。
はんりょ、ハンリョ……。だが、該当したのはそれ一つきりである。
ええと……ええと? 
「な、なあライドウ? それってどういう――」
「――言の葉の、ままに――……」
「ストーップ! そこまでッスよサマナーくん!」
静けさを打ち破った声は、アスラの膝上から聞こえた。
ぎょっとしたアスラが視線を落とせば、目を覚ましたのか緑色の物体が起き上がっている。
「ああ、目を覚ましたかモコイ――」
安堵してアスラがそう声を掛けたのだが、モコイの視線は繋がれた手と手を凝視しており、そしてキッと睨みつけ――。
――その間に、ばしり、と手刀を落とした。

「痛っ……た!」
「……。」
立たれた握手。アスラが痛みに顔を顰めて腕を振れば、その手をむぎゅりと掴んでモコイが叫ぶ。
「人修羅くんはボクのらばーダッテ言ってるデショー! ナニ略奪愛仕掛けてんスかチミはー!」
「略奪って……あのなあ、モコイ。」
アスラはライドウに掴みかかろうとする恐ろしいほどまでに怖いもの知らずな悪魔を抱きとめると、溜息を吐きつつ口を挟む。
「ライドウはたまたま通り掛かっただけだ。それに、お前が寝涎を垂れ流して俺が困っていたのを見かねてハンカチを貸してくれたんだぞ。」
馬鹿なことを言ってないでお礼を言えよな、と諌めてモコイの頭をぱしりと叩いた。
瞬間、モコイが涙目になって。
「サマナーくんを庇うスか! ヒドイ! ヒドイッスよ人修羅くん!」
「庇うとかじゃないから! だいたい、ライドウが俺に迫ってどうするんだよ。お前じゃあるまいし。」
「……。」
「悪いライドウ、先に戻っててくれ。俺はコイツを落ち着かせてから行くから。」
とうとう子供のように手足をバタバタさせてぐずり始めたので、アスラはモコイを抱き上げた。
背中をぽんぽんと叩き、頭を撫でる。しかしモコイはまだぐずっている。
そんなアスラとモコイを、書生はしばらく無表情に見つめていたが――やがて、帽子の庇を押し下げて。

「……では。先に、帰還する。」
「あ、ライドウ!」
名を呼ばれ、書生がさっと振り返るも、叫んだ相手は背を向けたままで言う。
「もし俺の仲魔たちに何か聞かれたら、”モコイが”、で分かるから。」
「……。ああ。」
伝言を受けたライドウは外套の裾を翻し、大通りの奥へと歩きだす。

途中、一度ピタリと足を止めて振り返り何か言おうと口を開閉させる――も、アスラの意識がモコイにのみ向けられているのを見止めると、何も言わず、再び背を向けて歩いていった。
ゴウトが居たなら、彼の心中を推し量れただろうか? 
大通り、聞こえるのはモコイの泣き声だけ。