もこもこモコイ
34.オネダリ誘導
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
「ネーネー人修羅くん、人修羅くーん。」
ついつい、と後ろの毛を引っ張るものがいた。
振り向かずとも分かるその声、その口調。マガタマを地面の敷布に並べて磨いていたアスラは手を止めると、肩越しに相手を振り返った。
「何だモコイ。今、ちょっと手が離せないから後で――」
「今ヒマー?」
「……。」
俺が今なにをしているか見て分からないのか、とアスラが顔を顰めるが、かといってモコイが簡単に引き下がるわけも無い。ドゥフフと笑うと、横を向いて投げた視線の先を指差して言い繋ぐ。
「アレしてほしーの、アレ。」
「アレ……?」
何のことやら分からぬままにモコイの指したほうを見れば、その視線の延長線上に居たのは。
「ゴウト殿……煩いは、無いか。」
「ああ、ちっとも。……むしろ蕩ける心地だ。流石は俺の相棒よな。」
「……勿体無い、言の葉だ。」
膝上に猫を乗せ、書生が耳掻きをしてやっている光景がそこに在った。
「あ。ライドウが笑ってる。」
遠目からでも分かる綺麗な微笑を見つけて、アスラは笑う。本当にゴウトが大好きなんだなぁ、と微笑ましくなるくらいに、ライドウは綺麗な微笑を浮かべていた。
(ほんと、いつも無表情なのが勿体無い――)
などとその光景に気をとられていれば、不意に首にズシリと重圧。
どうやらモコイが嫉妬したらしく、アスラの首の後ろにもっちりと身体を乗せてきた。
「ぐっ……重い! 重いから!」
「サマナーくんに見惚れてないで、ボクの話ヒヤリング!」
「聞いてるって! 痛たた……、こら、重いから!」
それでもモコイを押し退けようとはせず、アスラは腕を伸ばして重心を肩へと移し変えた。
「――で? 何をねだろうとしてたんだ。」
モコイを肩車する格好で質問を続ければ、相手は指を差したまま言う。
「ダーカーラー。あれっスよ。」
「だから、どれ。」
「ミミカキー。」
「……は?」
アスラは思わず素っ頓狂な声を上げると、肩越しにモコイを凝視した。
「や、やーネ。そーゆーことは、ふたりきりーの時に――」
何を勘違いしたのかモコイはその緑色の顔を赤らめると、両手でキャーと顔を覆った。
そんなモコイを余所に――敢えて突っ込むまい――アスラは、怪訝そうに眉を顰めて言う。
「お前って……耳、あるんだ?」
それは嫌味でも皮肉でもない、純粋な呟きだった。
しかしモコイは信じられない、とばかりに目を見開くと、キッとアスラを睨んで叫ぶ。
「あるに決まってんでショー!? 見て分かんないスか!?」
「うん……全っ然、分からない。」
「ヒ、ヒドイ……!」
モコイはふらりとよろめき地面に足を着けるとそのままそこへ寝転がってジタバタと暴れだした。
”暴れまくり”――と言うほどではないが、ともかくそれは遠目からでも”騒動”に見えたらしく、ライドウの意識を引き付けたようだった。
視線の向こう、静かに立ち上がった人影を「どうした?」と黒猫が見上げるのが見える。
書生は黒猫になにやら一言二言告げると、そのまま今度はアスラがいるほうへと歩いてきた。
「……どうした。変事でも、在ったか。」
「あー……いや……そんな、大したことじゃ」
「人修羅くんのバカーーおばかーー! ヒドイぃぃぃ!」
「……”大したこと”、であるように……見受けられる、が。」
「う……いや、その……。」
「……。」
ライドウに無言で見つめられて、アスラは口篭った。
彼の書生の氷の眼差しは、ぴしりと神経を凍らせてくる。そこに恐怖は抱かないものの、絶対零度とはまた違った”冷気”を前にしては嘘も誤魔化しも吐く余裕が無くなってしまうのだ。
「うん……実はさ――」
アスラは溜息を吐くと、仕方なくライドウに事情を話すことにした。
◇ ◇ ◇
「……耳掻きを、所望された、と。……何故。」
案の定、説明が終わるなりライドウが不思議そうに首を傾げて訊ね返してきた。
それは俺が聞きたいよ、とばかりにアスラは肩を竦める。
「ライドウたちを見てたら羨ましくなったんじゃないか? 急にアレしてーってせがまれてさ。でも……」
そこで言葉を切ると、アスラは自分の胸元に視線を落とした。そこにはえぐえぐと嗚咽しながら抱きついているモコイがいる。何がそうショックだったのか、なかなか泣き止んでくれない。
その側頭部を一瞥しつつ、アスラは会話を繋げる。
「なあ。モコイの耳って、どこにあるんだ?」
「……そんな下らんことで、俺は耳掻きを中断されたのか。」
不機嫌に唸るゴウト。その黒猫の背を撫でて宥めつつ、ライドウが静かに言葉を返す。
「彼の悪魔は、人型に近い。が……近似では、無い。故に、器官を見つけるのは……困難となる。」
それとなく同意するような言葉を吐いたライドウに、アスラが両手を叩いて喜ぶ。
「だよな? だよな! ライドウだって、モコイの耳がどこに在るのか分からないよな?」
すれば、ライドウが一言。
「――否。デビルサマナーたるもの、悪魔が、生態は……確実に、把握して、在る。」
「う……ご、ごめん……。」
「構わない。咎めたわけでは、無い故。だが……モコイ。お前の願いを、アスラが叶えることは彼の理由により、難事となる。」
ライドウがそう告げれば、アスラの腕の中でモコイがさめざめと泣きはじめる。
「ズルイっス……ゴウトくんだけハッピーで、ボクにはイジワルするなんて……!」
「いや、俺は何も意地悪してるんじゃ――」
「……変えれば、良い。」
「エ?」
モコイが泣くのを止めてライドウを見上げれば、彼の書生は無表情に提案をひとつ。
「アスラが、叶えるに可能なものに、変じれば……良い。」
「ダッテー……」
モコイは渋い顔をする。
しかし、そんな悪魔に、彼の書生は涼しげな眼差しを向けて告げるのだ。
「――それ一つが、お前の唯一か、モコイ。」
「――!」
問われて、モコイがハッと何かに気付いたような顔をした。
「違うっスよ! ボクの願いはメニメニありまくるッス!」
「ちょっ!? ライ――」
モコイの表情が活き活きと輝きだしたのを見て、嫌な予感を覚えたアスラが口を挟みかける。
が、それより先にライドウが言葉を掬った。
「アスラが、厭うもの、は……宜しくない。……以上を解した上で、願いを告げろ。」
こうなると事態を回避することは出来ない。
「ラジャーっス! どぅふふふ……何が良ーカナー……どぅふふふふ」
書生に指導を受けた悪魔は感謝とばかりに敬礼すると、「じゃーボク向こうで皆とシンキングしてくるネー。」と言って、仲魔たちの居る場所へと走り去っていった。
ゴウトがその後を追ったのは、更に発生しかねない頭痛の種を刈り取る為だろう。
こういう時の黒猫殿は非常に心強いので、そちらは任せておいても良いのだが――……。
アスラは、茫然とした面持ちでその場に立ち尽くしていた。あまりにも淀みなく話が纏まってしまったものだから、混乱しているのだ。
「え、あれ……耳掻きの話、は……?」
そういう話をしていた筈だ。というか、そういう話だったのではなかったか?
それが何時の間に、”アスラに実行して欲しい願い事を考えよう”になったのだろう。
彷徨わせた視線の先、此方を見つめる書生の美しい瞳に目が留まる。
「ライドウ……」
後に続ける言葉が思い浮かばず、相手の名前を口にしたきり硬直してしまったアスラに、彼の書生は流麗な動作で――物音無く――近づいて来た。
目の前、凍る美貌。しなやかな手が頬に触れてくる。
「……制限を、敷いておいた。難事は、軽減される。」
「え、あ……そ、そうなんだ?」
「ああ。それに……アスラの、負荷となるものは――俺が、断つ。」
「断つって――ライドウ!?」
物騒な言葉にアスラがギョッとした表情をすれば、ライドウは頬に触れていた頬を軽く動かして微笑む。
「アスラの仲魔に、害は為さない。……大事、無い。」
「そ、それならいい……――いやいや、そうじゃなくてさ!?」
思わず流されかけたところで我に返った。
頬に触れるひやりとした手を掴み、叫ぶ。
「止めなくて良いのか? モコイのやつ、きっと暴走した願いを言うぞ!?」
「彼の方が、就いてある。……故に、苦慮たるものは、除外、される。」
「ゴウトはライドウに何も無ければそれで良いような気がするんだけど。」
「……俺が、言の葉は……アスラを、煩わせたか。」
闇色の瞳に、影が差す。アスラの頬から手が滑り落ち――ライドウが、そっと目を伏せて呟く。
「……すまない。愚行、だった。」
「あ、いや……愚行、じゃ……ないぞ? うん、ライドウは悪くないって!」
アスラはずきりと痛んだ胸を意識しながら、ライドウが己を卑下してしまう前に、慌てて言い募る。
「弱気になってた俺が悪いんだよ! だ、大丈夫! 何がきても叶えてみせるから!」
――何を口走っているんだろうなぁ、俺は。
アスラは自分自身に呆れたが、言ってしまったものは仕様が無い。ライドウの肩を叩いて励ます。
「大丈夫だって。なんなら、ライドウも手伝ってくれよ。な!」
もう巻き込んでしまえ、と思ったのだ。
ああ、吹っ切れた。
というか、ヤケクソだ。
ライドウはそんなアスラの言葉をどう受け取ったのか――恐らく、己が頼りにされたと思ったのだろう――顔を上げたそこには、それはそれは見事な微笑が浮かんでいた。
首を傾げ、柔らかな眼差しでアスラを見つめ、ライドウが言葉を紡ぐ。
「……ああ。このライドウ、アスラの助勢、承った。」
そうして恭しい仕草で頭を下げると、アスラの手をとりその手の甲へ口付けを落とした。
アスラは、ぐっと言葉に詰まり、笑みを引き攣らせる。
良心が痛む。思い切り痛む。
(べ、別に騙してるわけじゃないぞ!? )
心の中で叫んでみるも、胸はまだしくしくと痛んでいる。
「……尽力、する故……アスラも、どうか。」
「うん……頑張るよ、俺。」
乾いた笑みを浮かべながら天を仰ぐと、アスラは長々と重い溜め息を吐きつつ目を閉じた。
――どうかせめて、まともな願いごとでありますように、と。
とりあえず、神と悪魔以外の何かに、そんなことを祈った。かなり切々に。