もこもこモコイ
37.一度、離れて
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
「え? 戻るのか?」
仲魔の元へ戻り、買った荷物を片付けている時だった。
「話がある」とゴウトが近づいてくるなり、アスラに言った。――「我らは一度、帝都に戻る」と。
突然の事にアスラは沈黙し、たった今買い込んだばかりの荷物へと視線を落とす。
”ピクニックをしよう”という計画だった。
モコイの耳掻き事件(というのも大袈裟だが)の代わりに出された案がそれで、アスラにとっても受け入れることの出来るまともなものであった為、計画を進めていたのだが――。
「そっか……そうだよな。都合があるもんな。」
アスラは頷き、理解が有るように笑ってみせる。だが、その表情は硬く、ぎこちないもので、失敗していることに気付いていない。
「部外者の俺がこういうのもなんだけど、大変そうだよな、デビルサマナーって。」
元々、ライドウたちは此処の人間ではない。
文字通り、住む世界が違う存在だ。
引き止めることはしない。いや、出来ないといったほうが正しいのか。
アスラにそのような権限は無い。彼らにも彼らの世界、己の生活があるのだ。
無期限の契約ではないのだと、分かっていた。
分かりきっていた。彼らはいつか還ってしまうのだと。
――割り切っている筈だったのに。
(……ピクニックは中止かぁ。)
心中で呟き、仕分けている途中だった道具をぼんやりと見つめていれば、とん、と肩を叩くものがあった。
顔を上げたアスラは、傍にライドウが立っているのに気付く。
「……、あ……。」
まだ少し気まずい。
だが視線を逸らしてしまったアスラとは違い、ライドウは無表情ながらも真っ直ぐに見つめてくると口を開いた。
「計画は、実行する。……それに、帰還、ではなく――」
「おべんとー作ってくるんスよ!」
不意に、アスラの足元から投げられた声が会話に割り込んできた。
見ずとも分かる。モコイだ。
「弁当? ……わざわざ?」
「おい。七綺は人間なんだぞ。」
今度は、ライドウの足元から声が飛んできた。ゴウトだ。言われて、アスラは「ああ」と頷く。
ヒトらしい欲求が失せたこの身になって、随分経った。
それですっかり失念していたが、ライドウはヒトなのだから食料が必要になるのだ。
一応、この世界にも食べられるものはある。
しかし、デビルサマナーの教えだかゴウトの指導だかは知らないが、ライドウは常に自分用の食料を持っており、それしか口にしない。
当然だろう。この世界、アスラが平気でもライドウも安全だという保証は無いのだから。
ちなみに、このライドウの携帯食。アスラも一度、興味を惹かれて食べさせて貰ったことがある。
味の程だが、どうだったかというと――「ああ、昔の味だな……うん……。」――というのが、アスラの感想であった。それ以外に記憶が無い。
まあそれはそれとして、ライドウたちの帰還が一時的なものだと知ったアスラは、ほっとする。
「ごめん、そういうことか。うっかりしてた。」
アスラの顔に、少しながら笑顔が戻った。
ピクニックにあの携帯食というのも味気無いな、と思ったのだ。ああ、それではちっとも楽しくない。
「悪い! 俺、ほんと、そういうことに全然気が回らなくなってて――」
「――アスラ、は。」
「ん?」
「……アスラ、には……不得手なものが、有るか。」
「……増えて?」
首を傾げて頓狂な返答を返したアスラの胸を、モコイがぱしりと叩いた。
「ンモー人修羅くんてば鈍感サン! ライクとディスライクを聞ーてるんスよ。」
「ライ……え、ちょ、ちょっと待った!」
聞き慣れない横文字に、アスラは片手を挙げて彼らの言葉をそこで止めた。
ヒトだった頃に覚えた知識が、まさかこんな形で必要になるとは。
ばらけかけた思考を纏め、並べる。
「あーっと……ライクは確か”好き”って意味だから――あ、”好き嫌い”か!」
ぽん、と手を打って答えを導き出したアスラに、与えられたのは柔らかな微笑。
モコイと――そしてライドウまでもが微笑み、言葉を繋ぐ。
「そうっスよー。ネ、ネ、人修羅くんは何がスキー? ボク、頑張っちゃうっスよ!」
「……希望を、アスラ。可能で無くとも……意向に沿うよう、努める故。」
「え……俺、の……為?」
アスラは己を自覚していた。この身は既に悪魔であり、ヒトではないのだ。
なのに、彼らはこの存在に線引くこと無く同等に扱ってくれるらしい。
「――……っ!」
ぐっと言葉に詰まり、押し黙るアスラ。
口元を押さえて俯くが、それは不快を覚えたからではない。
嬉しかった。
彼らの心が。
嬉しかった。
まだヒトだと見てもらえることが。
情け無いと思う。
吹っ切れたというような振りをして、結局は未練を引き摺っている。
ああ、やっぱり自分は捨てきれないのだ。
アスラは泣き笑いに似た表情をしてしばらく俯いていたが、やがて目元を擦ると、顔を上げて彼らの質問に答えた。
「うん……、はは……。あ、俺の嫌いなものは、特に無いかな。」
そう言ってアスラは笑った――が、実はこれは嘘である。
アスラには、苦手なものが一つだけあった。
それはセロリだ。
あの匂いがとか味がとか食感がとか言い出せばキリが無いが、今は置いておこう。アスラが嘘を吐いて隠したのは、彼の時代には確か無いだろうと考えたからだ。
あとは、あまり弱いところを見せたくないという意地も、ちょっぴりある。また一つ弱点を晒け出すのも御免だった。
「食べられるものだったら、何でも大丈夫だよ。」
質問に答えたアスラの足元で、モコイがキャーとはしゃいだ。
「オッケー! んじゃー迷わずメイキングしちゃうっスよん! むふ。とびきりデンジャラスでゴージャスなランチ作っちゃうからボク!」
「いやいや、デンジャラスって何だよ!」
足元をくるくる回りながら叫ぶモコイの目で追いかけながら、アスラが突っ込んだ。
モコイはドゥフフと笑い、尚も楽しそうに駆け回る。何か妙なスイッチでも入ったんじゃないかとアスラは呆れた顔をするも、口元に生じた笑みが照れ臭さを表していた。
「まあ、あまり食べ物で遊ぶなよ――」
一応の注意をしておいて、中断していた道具の整頓作業へと戻ろうとした時だった。
――ふと、視線。
「……ん? あ――」
いつの間にか、直ぐ隣――右手側に、ライドウが立っていた。
◇ ◇ ◇
「ラ……ライドウ? ま、まだ……何か?」
途端に腰が引けてしまう自分を格好悪いなと感じながらアスラが訊ねれば、相手は帽子の庇を僅かに押し上げて、言った。
「……直ぐ、戻る。」
それは、踏査に出る際にライドウがアスラに告げる台詞だった。
”行ってきます”の代用だ。
いつもどおりらしいライドウに、気まずくなっているのは自分だけかと苦笑したアスラは、そこで自分の肩から力を抜いた。
頷いて、答える。
「コッチのことは心配ないから。あまり無理するなよ?」
緊張が解けたのもあって、ライドウの肩をぽんと叩いた。すると、相手が帽子の庇を少しだけ下げて、首を振る。
「……否。無理、など――」
「……?」
ライドウは、元々あまり喋らないほうだ。
寡黙、だといっても良い。
口下手なのではなく、感情表現の仕方がよく分かっていないせいなのもあって、言葉に迷う時があるようだ。
心配しているのだろうか?
仲魔ではあるが、アスラを――”悪魔”だけをこの場に残して一度去らねばならぬこの状況に、何かしらの危惧を覚えているのか。
自分は、不安に思わせる”仲魔”なのだろう。
”悪魔”の癖に、本当に情け無い。
アスラは、それでも相手を安心させる為に笑ってみせて、言う。
「俺なら、ちゃんとココで大人しくしてるって。だから、ライドウも心配しないで行って――」
「――アスラ。」
ライドウが、言葉を途中で遮った。
黒曜石の凝視。重苦しさは感じないが、そのまま見詰めていると奇妙な感覚がした。
それは、”本能”が察知したのだろうと思う。
悪魔ではなく、”ヒト”としての何かが知らせたのだ。
――でなければ。
こうも鼓動が早くなる筈など、無い。
「ラ、ライドウ……?」
「……何だ。」
震える指先を見られないよう、ぎゅっと押さえて隠し、アスラは笑みを保って口を開いた。
「その……お、お弁当! 期待してるからな!」
「……。」
他に言葉は思いつかなかった。――それで良かったのだと思う。
ライドウは少し首を傾げたものの、少し間を置いてから口端を微かに上げた。
凝視が、言い知れぬ”拘束”が――解ける。
「……歓喜に足るものを、作ってくる。」
頷いた相手は、アスラが知っている”ライドウ”だった。
「ネーネー早く支度しないとー!」
通りの向こうから、ライドウを呼ぶ声が飛んできた。
そちらに視線を向けて背を向けた書生を見上げながら、アスラは何処かほっとしたものを覚える。
今のは何だったのだろう?
麻痺を受けた時の感覚に似ていたが、ならばあの震えの原因は――?
「……アスラ。」
「~~っ! ……あ。な、何だライドウ?」
呼びかけに、我に返ったアスラが振り向いた。彼の書生、少しだけ目を細めて言葉を紡ぐ。
「……これより、一時帰還する故……後は、アスラに。」
「あ……うん。」
そう言ってライドウは歩き出したが、何かあったのかふと足を止めると、実に綺麗な動作で振り返った。
アスラが「どうした?」といった顔をすれば、ライドウは首を僅かに傾げて。
「……行って、きます。」
ゴウトにでも教わったのか。
アスラが破顔する。
「ふ……ははっ――行ってらっしゃい!」
挨拶を返せば、相手が嬉しげに笑みを深めた。
そうして遠ざかる人影。
見送りながら、アスラは、ほうと息を吐く。
ライドウは、どんどんヒトらしくなってくる。
美しいデビルサマナー。
今は少しぎこちなくなってしまっているが、大切なヒトの――”トモダチ”。
けれど。
いつかは還るヒトだ。
やがて居なくなってしまう遠い世界の住人。
ああ。
分かっている。
このままで居ても居なくても、”それ”は――別れは必ずやって来るのだということを。
「解かってる、大丈夫だ……。俺は、最初から一人だったんだし。」
己の手の平に視線を落として、アスラは弱々しく笑った。