もこもこモコイ
38.廻り巡る双つ
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
怯えさせてしまった。彼の人を。
恐れを抱かせてしまった。彼の少年を。
懸命に震えを隠し通そうとしていたが、見てしまった。
気配だけで解かってしまった。
ライドウは空を仰ぎ、その空に浮かぶ月を見上げる。
綺麗な金色。
彼の瞳と同じ色。
赤い花を見るよりも、ずっと多く眺めていたあの黄金。
手が届かないものだと、分かっていた。
触れることなど出来ないと、理解していた。
この醜い身。汚れた命。
あの夜空に浮かぶ月だけが何よりも美しく、唯ひたすらに眺めては焦がれて過ごしていた日々は今も記憶の底にある。
届かない存在だと思っていた。
――だから。
あの場所に於いて彼の少年と出逢った時、相手の双眸に宿る黄金を見つけて息を飲んだのを覚えている。
綺麗な”ヒト”だと、思った。
こんな自分を、”トモダチ”だと言ってくれた。
――鐘音。
青年は目を開けて瞑想から現在へと戻ると、顔を上げて目の前の扉を見詰めた。
近づく気配。
ああ、そろそろ頃合だ。
「葛葉ライドウ――此処へ。」
八咫烏の使者に名を呼ばれ、大広間へ足を踏み入れるは十四代目葛葉ライドウ。
傍らに今、黒猫は居ない。今日は、彼一人で報告をしなければならない日であるからだ。
◇ ◇ ◇
がらんどうの室内に、厳格なる大音声が響く。
「来たか十四代目。では告げよ。彼の地に於いての、禍津の流れを。」
「――はい。」
ライドウは粛々と述べる。事実を。
己の主観ではなく、ただ純然とした事実だけを。
彼の地に於いての対象者との接触。
彼の世界の動向。蠢く思惑の影すら漏らさず、ライドウは伝えた。
地の底で、対象者が思惑の主と接触したらしきことも。
そして、其処でヒトならざる力を手に入れた事実も。
報告が終わった後、室内に一瞬の間があった。
延びる沈黙。耳が痛くなるほどの静寂の中、それでも言葉を待ち続ける書生に、やがて声が告げる。
「成程。報告より、どうにも彼の悪魔、凶事たる主であるよう見受けられる。」
「――。」
ライドウが宙に視線を向けた。
其処に人影は無い。だが、まるで其処に誰かが居るかのように視線を留めて、書生は答えようとした。
「……彼のもの、は」
しかし、威厳のある声がそれに畳み掛けた。
「――災厄は防がねばならない。」
しんとした広間に、冷徹な命令が落とされる。
「禍者、滅するべし。」
それきり、声と気配が途絶えた。
ライドウの意見を取り入れることも無く、判断のみを下して。
独り、取り残された書生は目を伏せて息を吐く。
「モノ、では無い……アスラは――ヒト、だ。」
それでも庇を押し下げて黙礼し、ライドウはその場を後にする。
いつものように音を立てず、ただ静かに。
部屋を出て廊下を真っ直ぐ歩いた先で、彼の黒猫は待っていた。
「おう七綺! 報告は済んだようだな……?」
黒猫――相棒であるゴウトが駆け寄って来たが、笑みを直ぐに引っ込めた。
何かを感じ取ったらしく、側までやって来ると相手の顔を下から覗き込むようにしながら言葉を続ける。
「どうした? あの年寄りどもに何か言われたのか?」
優しい黒猫。見上げる柔らかな緑瞳に、心配そうな光。
ライドウは少しだけ微笑すると、その場に片膝を付いてゴウトの背を撫でた。
「遅く、なった……すまない。」
「む? あ、ああ……それは別に気にしてはいないんだが――七綺? 捜査については何と?」
「……――特に、何も。」
書生は感情の無い無機質な声でそう告げると、ゴウトの頭を丁寧に撫でてから腰を上げた。
「再び、彼の地への帰還を。……行こう、ゴウト殿。」
「お? おお、そうだな。」
早々に話を切り上げるようにして会話を終えた書生が、廊下を軋ませる事無く再び歩き始める。
ゴウトは半分戸惑っていたが――ここで訊ねるのは拙いと考え、今は何も訊かずにライドウの後を追いかけた。
渡り廊下。
視線を少し横へ流せば、夜空に浮かぶ月が追いかけてくるのが見えた。
ライドウの好きな満月。だがライドウはそちらには一瞥すらも向けず、黒猫を連れて廊下を歩いていく。
「……アスラ。」
少年の名を呟く。
思考の片隅に浮かぶ金色の満月に、無性に触れたいと思った。
◇ ◇ ◇
「どうしたよ。何か悪いもんでも食ったか?」
「え?」
ライドウが戻って来るまで大人しくしていると言ったのは良いが、意外にやることが無い。
気分転換も兼ねてヨヨギ公園を訪れてみたのだが、中央口のベンチに腰掛けるなり動かなくなってしまったアスラに、仲魔の一人が声を掛けたのだった。
アスラは頬杖を付いたまま相手を見上げ、口を開く。
「あれ、サカハギ。皆は?」
「あれ? じゃ、ねぇよ。」
問われた仲魔――サカハギが、アスラの質問にげんなりとした顔をした。
「”遠足”だか何だかの候補地を調べに来たんだろーが。」
「あー……そうだったっけ。」
あはは、とアスラは苦笑い。
けれど、サカハギは凶相を歪める。
「……サマナー野郎のことが気になってんのか?」
押し殺した声には、僅かな敵意が混じっていた。
ライドウが気配も音も絶って行動するので、一部の仲魔は彼の書生を敬遠していたりする。
敵意の原因は、恐れと畏怖。
それから――アスラと”親しくしすぎている”のが気に食わないのだ。
ライドウは彼らの敵意を感づいているようだが、「詮無い」とのこと。アスラとしては仲魔内で敵意など無いほうが嬉しいので、何とかしようと努力中だ。
例えば、今とかが絶好の機会だと思う。
アスラはライドウのことで不安を抱いているわけじゃないことを示そうと、口を開く。
「んー……ライドウが気になってる、というか……報告が、かな。」
俺、結構馬鹿なことしてたりするから恥ずかしいんだよな~。うわ~何言われてんのかな~、と暢気な発言を返してみたが、その瞳は何処となく昏い。
「……何か悩んでるんなら、聞くぜ?」
サカハギが、隣に座った。
アスラは苦笑を深くして、首を横に振る。
「いや、そんな深刻な悩みとか無いし。あ、でも、遠足の場所とかモコイが何を作ってくるか、とかは気になって――」
「――あいつらが。」
「え?」
「……サマナー野郎が再び敵になって帰ってきたとしても、俺はお前の仲魔だからな、アスラ。」
「……。はは、そんな……ライドウが、敵なんて」
そんなことは無い、と。
口にしかけた言葉は、けれど喉元で詰まってしまった。
「報告って言ってたが、元々あの野郎はアスラの監視に来たんだろ?」
「あ、ああ。ゴウトは、そう言ってた……けど」
「じゃあ報告を聞いた”上”? が何なのかは知らねーが、ソイツがアスラは敵だって言ったらサマナー野郎は――」
「――サカハギ!」
アスラが、鋭い声で相手の言葉を遮った。
その先に続く言葉が聞かなくても分かっていたからではない。聞きたくなかった予想だからだ。
何故なら、アスラもその”可能性”を考えなかった訳ではないのだから。
けれど、推測でライドウとの関係を――絆を、壊したくは無かった。
だから考えないようにしていた。その仮定を頭の隅に閉じ込めていたのだ。逃げるようにして。
「ライドウは、仲魔なんだ。」
感情を表に出さず、寡黙で美しい書生。
「俺の、仲魔に……なって、くれたんだ。」
地の底での約束。
一時的なものではあるが、それでもこれまで一緒に戦ってくれた大切な仲魔。
「……それでも、あの野郎は上の奴に従うしかないんじゃねえのか。」
それは静かな声だった。
敵意は無い。アスラに現実を認識させるように、落ち着いた声でサカハギは続ける。
「ま、サマナー野郎はどうにもアスラを好いてるみたいだから、報告は捏造だか改竄だかするんだろうがな。――でも、よ」
「でも……?」
「判断するのはライドウじゃないんだぜ、アスラ。」
サカハギが腰を上げ、言葉を繋ぐ。
「あいつらは別の世界の存在だ。ココじゃない、違う次元の。……そこんとこ、”解っとけ”よアスラ。」
その言葉に、アスラがハッとして顔を上げる。
だがサカハギはさっさと歩き出しており、呼び止めるには遅すぎた。
その場に独り、取り残されて。
アスラは両手に視線を落とし、呟く。
「……ライドウが敵になったら、か……。」
何気なく顔を上げた向こう、仲魔たちが集まって談笑しているのが見えた。アスラの仲魔たちが、アスラの計画の為に、案を出したり策を練ってくれたりしているのだ。
仲魔の輪。
けれどアスラはそこへ混ざろうとせず、両手を握り締めて目を伏せる。
これまでにも、散々迷って迷わされてきた。
並べられた選択肢。一つを選んだ後には、いつも必ず、何かしらの後悔があった。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと、悩み、嘆き、それでも前に進んできた。そうすることで乗り越えてきたのだ、仲魔と共に。
「……ライドウ。」
あの書生ならば迷わないだろう。彼の動きと同じように、きっと真っ直ぐ淀み無く歩いてきただろうから。
ふと、脳裏に冷たい黒瞳が浮かぶ。
深遠の闇を孕む美しい瞳は、いつもアスラを助けてくれた。
「……ライドウ、俺は――」
思わず空を見上げる。
しかしそこには眩しすぎる太陽が闇を払い落とすように煌々と輝いているだけで、答えを見出せぬアスラを哂うばかり。