メサイアの詩
│05│ Night-gaunts
人の情など要らない。
人の心など要らない。
思い出が欠けていき、記憶が崩れていくこの最悪な運命。
楽しければ、それで良い。
それだけであれば、もう――もう、何もかもが返って来なくても気にはしない。
「ん……。」
薬を飲ませるのはとっくに成功しているというのに、口付けはまだ続いていた。
「は……っ、はぁ、ん……ぅ」
時折、呼吸を整えるためか雷堂が唇を離す他は休憩が無く、なかなか終わりが見えそうに無い。
――さて。これはどうしたもんかな。
口付けの最中、アスラはヒトの思考で目の前の男の行為を眺める。半ば、他人事のように。抵抗せず、為されるがままにされている。
――事実、脅威でもなんでもないのだ。
闇の王の悪戯に付き合わされて疲弊した身ではあれど、魔力はとっくに回復しているし、揮う力も戻っている。
「は、あっ……――ん、む」
雷堂が、舌を絡めとってきた。
それは彼の職業――弱点を突いて悪魔を管に封じるあの行為――を思わせるほどに”手際”が良く、アスラを完全に捕まえて口腔を蹂躙する。
「……っは。ナナキ、これは――」
踏み躙られるのはどうにも好きではない。アスラは雷堂の真名を口にして、相手の胸を押し返した。少し前に、悪戯を仕掛けてきた暁の君に殺気を見せて拒絶を示してきたばかりなのだ。
しかし肩を押されてアスラに距離をとられた雷堂はというと、何故か愉快気に目を細め、傷跡が歪むくらいの笑みを見せた。
嘲笑に似たソレは、強い喜悦を示す別の笑み。
――この書生は拒絶されるほうが好きなのか?
心身は回復しているとはいえ、意識が微かに朧ろいでいるアスラはまだ本調子ではない。相手の意図が読み取れずに眉を顰めて見つめていれば、雷堂が沈黙を破った。
「今回は我に主導権が与えられたようだな。」
「……は?」
何だそりゃ、と思わずヒトとしての本音が口を付いて出たアスラに、ふっと鼻先で笑う雷堂。
「なに。あまりにもお前が我の行為に抵抗せぬのでな。その様子だと、まだ完全に力を取り戻してはおらんようだな?」
「……慧眼には素直に感心しておくが、それの何が嬉しいんだ。」
「これが喜ばずに居られるか。」
呆れ顔のアスラの言葉を無視して、雷堂は彼の肩を押して再び寝台へと押し倒した。
きし、と寝台が小さな音を立てる。
――それは予告だった。
「……んっ」
雷堂が体の線に沿うように手を滑らせ、肌の表面を薄く撫で上げた。微かなくすぐったさと、奇妙な感覚にアスラが声を零せば、それは彼の書生のお気に召したようで獣じみた笑みが見えた。
この書生は気が強く、気位が高い。そうした相手は、大概が蹂躙されるのを非常に嫌う。誇りに傷を付けるのが屈辱なのだ。
その性格を知っていたから、アスラは日常において雷堂を度々陵辱する行動をとっていた。
――コチラは追い掛け回された挙句に殺されかけたのだ。別に、これくらいの仕返しは構わないだろう?
(とはいっても、実際には単なる”鬼ごっこ”だったし、かなり長い間楽しめたから良いけど。)
などと、雷堂が聞いたら憤死しそうな考えを思い浮かべている間に、いつしかアスラは雷堂との距離が近く、接触が深くなっていることに気づいた。
「は、……っ?、な……な、んだ……コ、レ――っ!」
神の毒はなかなか抜けてくれない上に、どうやら酷い仕様らしい。今になって現れたその効果は、感覚を鋭くさせるという単純ながらも確実な悪意を持っていた。
「う、っ……あっ……く、ぅ――っ!」
触れられただけなのに、疼きが走る。
じくり、と疼痛。
アスラはそちらに意識がいかないようにしていたが――本能を完全に押さえ込むには、やはり力が足りなかった。
情けないことに、下半身にすっかり血が昇ってしまっている。それこそ健全でありきたりな”高校生男子”よろしく、といったふうに。
(――くそっ! 神ってのは本当にどれもこれも碌でもない!)
アスラは心中で毒吐く。ふつふつと湧き上がる羞恥と怒りを覚えるも、うっかり気を抜くと嬌声が零れてしまうので片手で口を塞いで耐えるしかない。
神を呪う。
それと同時に、ヒトの欠片を残している己自身をも呪う。
ヒトを残しているから、完全では無いのだ。だから未だ毒を落としきれず、こうしてデビルサマナーに――ヒトに、翻弄される羽目になるのだ。
「――ほう。これは珍しい。」
しかも最悪なことに、とうとう雷堂に気づかれてしまったようだ。
「今日は随分と初心な反応ではないか。如何した、アスラ?」
「黙れ。笑うな。」
彼のヒトの目に宿る獣の眼光に似た煌めきを見つけ、アスラは眉を寄せて睨みつける。そして重く感じる右腕をどうにか持ち上げると、雷堂の首に手を当てた。
真紅の炎を宿した瞳に殺気を乗せ、低い声で放つは冷気の宣告。
「ヒト風情が悪魔を馬鹿にするな。――縊り殺すぞ。」
蘇らせた王の威圧。混沌の瞳。
けれどその声は悪魔を模ったヒトの音があり、全てを霞ませていることにアスラは気付いていない。