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Last Clocked

逢魔が来たりて魔笛 04


――其の時代、彼が居る世界には繋がっていない。

大正二十年の帝都。
多聞天の境内、佇立する鳥居。
其処の朱柱の下に座り込み、行き交う人々の流れを眺めている少年が居た。学生服を身に付けていることから、通り掛かる人々に判明したのは彼の正体だ。
少年は、書生なのだろう。目深に被った学生帽子に月型のエンブレム。それは弓月師範高等学校のそれでいて。
だが、いつから其処に居たのかは分からない。最初から其処に居たのかも知れないし、つい今しがた来たところなのかもしれない。
とかく少年は、誰かを待っているような雰囲気を纏わりつかせて、其処に居た。

何をしているのだろう?
誰を待っているのだろう?
たまたま近くを通り掛かり、その書生の姿を見つけてしまった女学生たちが居た。
彼女らは彼の少年に興味を引かれたようで、やや遠巻きに彼を見詰めながら、なにやらひそひそこそこそと耳打ちしては、時折、きゃあと歓声一つ。
書生は帽子をやや深めに被っている為に、その顔立ちは遠目からでは窺えない。
だが、彼の少年には何処か神秘的――ともすれば蟲惑的な風情が漂っていたが為に、それが彼女たちの足を止めたのだろう。
しかしながら、当の書生(?)は興味が無いのか彼女らをつまらなそうに一瞥すると、また視線を人通りに戻してしまった。
そんな時だったろうか。
通りの角を抜けて歩いてきた別の書生――雷堂が、その「書生」を見つけたのは。

「……斯様な場所で何をしている。」
足早に近づいてくるなり投げかけられたのは、挨拶ではなく敵意の籠もった詰問。
それに対し書生(?)は顔を上げると、雷堂をちらと見て微笑した。
「何って。……人間鑑賞?」
「……今度は何を画策している。此処は貴様の世界ではないのだ――アスラ。」
別の名称――”人修羅”という名前を避けたのは、この往来、例えばあの物陰にいる女学生などにはあまり聞かれたくない言葉だったからだ。
さりとて、人修羅という単語が聞こえたところで大きな問題になることも無い。はて何のことだろう?と、首をひと傾げする程度に留まるだけだ。
だが、用心に越した事は無い。
何せこの少年――アスラが関ると、大抵が碌なことにならないから。

「いま、非常に失礼なことを考えただろう。」
眼下、座り込んでいる相手がそう言って冷笑を浮かべた。手の内――どころか、まるで此方の心裡を読んだような発言に、雷堂はあからさまに顔を顰めたが、それでも否定はせず、鼻先で笑って言い返す。
「フン。事実であろうが。」
「無根だ。」
「ほざけ。……そんな偽装までして、今度は何をしでかすつもりだ。」
声に警告の響きを含ませて問えば、アスラは一瞬笑ったようだが、唐突に通りの方へ視線を向けると、ぽつりと呟いた。
「――時計の音を聞いていた。」
「……時計の……音、だと?」
雷堂が怪訝そうな顔をして、アスラをまじまじと見詰めた。
当たり前の反応かもしれない。
此処は屋外であり、人の行き交う場所であるが、時計らしきものは何処にも無い。
銀座か、晴海か。そういった西洋形式が混ざり始めた街並みにて街頭時計なるものを見かけた気はするが、この筑土町にはそのようなものは無い筈だ。

「とうとう気でも触れたか。」
雷堂はいつも彼が向けるのに似た嘲弄で返してみたが、しかしアスラは何処か遠い目をしたまま、微かな笑いと共に答えた。
「元より、正気などありはしない。そんなものは当の昔に手放した。……知ってるだろう?」
そこで再び雷堂を見上げると、意味ありげな笑みを浮かべてみせた。
酷薄とした微笑は相変わらず妙な色香を持っていて、ギクリとさせられる。
確かに、この少年、彼の混沌王は狂気の塊ではあるが――しかし。
「……時計とは、何だ。」
それでも雷堂が話に乗ってしまったのは、アスラの表情に寂寥感めいた影が落ちていたからかもしれなかった。気のせいか、このように覇気の無い彼はどうにも「らしく」ない。
雷堂の質問に、アスラがまた薄い笑みを浮かべた。
嬉しかったのか、追究されるとは予想だにしなかったのか。猫のように目を細めると、雷堂に静かな眼差しを向けて言う。

「終末を刻む時計のことさ。俺の世界には、そういうのがあったんだ。」
運命を決めるもの。
針が十二時に合わされば、其の時、世界が終わるのだと。
そういうものが、あった。
勿論、それはあの東京受胎に於いては何の役にも立たなかったわけだが。
「なあ……雷堂。」
黄昏を眺めて、アスラが問い掛ける。

「この世界の終末は、いつ来るんだろうな?」
「ッ……貴様っ!」
静かな声で街を眺めるアスラの気配が、そこでゆらりと揺らめいたのを感じた雷堂は思わず外套の下の刀に手を掛けた。その反応に、アスラがクックと笑う。

「落ち着け、唯の質問だ。ココは俺の世界じゃない。」
宥める言葉。だが雷堂は刀の柄に手を置いたまま、アスラを睨みつける。
「なれば、とっとと己が世界へ帰ったらどうだ。」
敵意を全く隠そうともしないで喋る雷堂に、アスラは何処までも愉快そうな姿勢を崩さず言う。
「そう言うなよ。折角遊びに来たトモダチに向かって。」
「だっ……誰が友か!」
「素直でない。」
目を細めて苦笑したアスラは、普通の少年に見えた。その面変わりに、雷堂は思わず柄から手を離す。
また、「これ」だ。
違和感に似た、この変化。
どうにも調子を狂わされてしまう、この気配。
「アスラ、貴様は――」
「――そろそろ座り話も飽きたな。」
雷堂の言葉をそうして簡単に遮ると、アスラは腰を上げて立ち上がり、彼の書生に向き直って言った。

「とりあえず、挨拶がてらに何か甘味を奢れ。」
唐突な会話の遮断と新たな命令に、目を丸くする雷堂。しかしながら忽ちのうちに敵意を寄せ集めると、ぎり、と歯噛みして答えるは拒否。
「……ふざけるな。誰が貴様なぞに散財するか。」
身構え、睨みつけるその姿勢は警戒する獣。
アスラはしかし、彼の気配を前にしても何とも思わない。ただ蟲惑的な笑みを浮かべると、腰に手を当てて告げるは策略。
「そうか。そうすると、向こうで俺たちを未だに覗き見している乙女さん方に、刺激的な光景を見せ付けてやることになるけど良いのか?」
「……刺激的、だと?」
嫌な予感がした。
片眉を上げた雷堂を見詰めて、アスラは笑う。

「ああ。例えば、そうだな――、……衆道的な行為、とか?」
そう悪魔的一言を言いのけて、悪魔的な笑みを一つ浮かべたる少年は、正しく「悪魔」他ならなかった。
舌を舐めずり哂う、目の前の悪魔。
ああ、これがヒトであるものか。
学帽の下で煌く瞳のその赤いこと。
雷堂は思い切り顔を顰めると、それでも己を静めるために深呼吸をして気を落ち着かせた後、帽子の唾を押し下げて応じる。
「……着いて来い。」
承諾に、アスラがパッと笑った。
「ナナキは物分りが良い。」
「……黙れ。」
子供のような笑みを浮かべて擦り寄ってきた相手に眩暈を覚えながら、そうして雷堂は相手を引き連れ、その場を後にする。

待ち人、来たりて。
だが其の終末は、何時来たる?

「一度の崩壊は退けたようだが――さて。お前の世界はどうなるんだろうな、ナナキ?」
雷堂に腕を絡めて、彼の少年は何処か面白そうに呟いた。

[ 時の流れを凝視するもの ]