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Versus Dark

逢魔が来たりて魔笛 06


「これはまた――珍しい出逢いがあったものだ。」
銀座の道路脇にて線を走る街鉄を眺めていたところ、傍に立ち止まる人影があった。
「こんなところで何をしているんだい?」
しかし、その時のアスラは物見を愉しんでいたので、建物の壁に寄り掛かったまま無関心を決め込んでいた。
「僕が見えているのだろう?無視をしないでくれたまえよ。」
それでも相手は一向に立ち去る様子を見せず、それどころか尚も話し掛けてくる。
面倒だなと思いながらアスラはようやく声の主を一瞥し――そこで相手の姿を”真に”認めた次の瞬間、それは苦笑に変わった。
少しだけの興味を瞳に混じらせると、相手に視線を向けて言葉を返す。

「何だ。貴方は此処にも居るのか。」
アスラの言葉に、今度は金髪の青年が目を細めた。
パリッとしたスーツを着こなし、皮の手袋を身に付けた手が掴んでいるのは洋風の鞄。
洋装異国風のいでたち。
何処からどう見ても異人の青年である彼の名前は、ルイサイファー。
初対面である筈の彼らはけれど、まるで長年の友のような視線を交わすと、どこか奇妙な笑みを浮かべあったのだった。


◇  ◇  ◇


「ショートケーキとシュークリーム。それから……ああ、このパフェも貰おう。それと飲み物はコーヒー。別に牛乳も付けて。」
所変わって、富士子パーラー。
店内には西洋モダンの香りが漂い、洒落ているせいもあってか客層の大半は女性であるように見える。この時代も、甘味を先ず好むのは女性らしい。
その店の奥の席に、アスラとルイは居た。
男性客は今のところ彼らだけなせいですっかり店内の衆目を集めているのだが、当人たちはさして――というより、全くといっていいほど気にした様子が無い。
基より、ヒトの喧騒など無意味なのだ。
そんな彼らは互いに向かい合う形となった席にて、彼らの会話に興じるのである。
「君は、甘いものが好きなのか?」
目の前に運ばれてきた三種類の洋菓子を横目に自分は紅茶を飲みつつ、ルイはアスラに質問を投げ掛けた。
すれば、アスラは言葉を受け取るのと同時に先ずケーキにフォークを突き立てると、それを口元へ運びながら答える。
「美味しいものなら大概は。」
そう言うと、ケーキをぱくり。
それからルイの注文したもの――紅茶だけ、に目を留めると、つまらなそうな顔をした。
「味気が無いにも程がある。」
「なに、君が食べるのを見ているだけで十分さ。」
「つまらないな。」
無難な返答をしたルイに、アスラは酷く退屈そうな眼差しを向けたが、それでも食事の手は休めていない。ルイは益々苦笑するばかり。
そうしてケーキを片付けたアスラは、次にシュークリームへと手を伸ばした。
手掴みでは行儀が悪いだろうか――と、一瞬そんなことを考える――が、かといって、イチイチ切り分けて食べるのも面倒である。
どうせ見ているのは周りの女性客、それも見知らぬものたちばかりだ……と、そこまで考えた途端に、アスラは礼儀作法などどうでも良くなってしまった。

――体裁を繕う悪魔が、何処に居る?
シュークリームをそのまま素手で掴むと、遠慮なく齧り付いた。
思った以上に中身があったらしく、齧り付いた端からクリームが溢れ出す。
あ、と思ったがどうにもならない。
零れてしまったな、とクリームが手を伝い落ちていく様をまるで他人事のように眺めつつも咀嚼していれば、目の前で笑う気配。
「君は、どうしてそう無頓着なんだい。」
紅茶のカップを置いたルイが、テーブル越しに手を伸ばしてアスラの頬に触れた。
そして指の腹でクリームをぐいと拭ってやれば、周囲の何処かできゃあと歓声が一つ。

「ルイ、手袋……」
呆れた声でそれを眺めるアスラはまだ退屈そうで、ルイは更に苦笑を深める。
「礼の一つも無いのかな、君は。」
言いながら、掴んだアスラの手を自分の口元へ持っていくと、その指先に付いたクリームをぺろりと舐めた。左右から、歓声が二つばかり追加される。今や店内中の視線は好奇一色となり、彼らを隈なく取り巻いていた。
アスラは一層呆れた顔をして肩を竦めたが、何も言い返さない。
ただ緩やかにルイの拘束を解くと、ナフキンで口元を拭い、それから何事も無かったように牛乳をたっぷり注いだコーヒーを一口飲んだ。
「随分と冷めているね。」
とルイが言えば、アスラは落ち着いた様子で視線を向けて。
「俺は誰かを愉しませる為に生きているんじゃない。」
「――誰か、とは?」
「……さあて。」
冷笑を口元に零して素っ気無く答えたアスラを前に、ルイの相好が奇妙な形に崩れた。
きっと、その態度が気に入ったのだろう。
不意に机越しから手を伸ばすと、コーヒーカップを置いたアスラの手首を掴んだ。
その行為に、アスラが片眉を上げて言葉無く問い掛ける。
すると、ルイの気配が揺らめいて――。

「――お前の遊びはいつ終わるのだ、アスラ?」
それはヒトとは到底思えぬ昏さを孕んだ声だった。
月蝕に似た闇のちらつき。薄闇を吐いて、言葉が滑る。

「何故、あの赤塔を上って来ない? 我を何処まで焦らせておけば気が済むのだ。」
詰問に似た口調ではあったが、相手の瞳には面白がっている光がある。
いいや、この場合は光ではなく闇というのか。
這い寄る混沌さながらに誘う声は、闇よりも暗く肺腑に響く威圧感がある。

ああ、昔ならば膝を着いていたかもしれない。
ああ、昔ならば頭を垂れていたかもしれない。

だが今は、最早脅威でもなんでもない。
アスラは相手に負けぬくらいの不敵な笑みを浮かべると、その瞳を真っ直ぐに見返して言った。

「どうせ結末は同じなんだ。もう少し待っててくれたって良いでしょう――閣下。」
赤い水。
水底、深遠なる世界。
少年を混沌王にさせた、深遠の王。
落ちたる明星。闇よりも暗き天使。
かつては、赤き地の底で女と――今は紅き太陽と共に、空にて待ち受ける堕天。
不意に、腕を掴まれた箇所に痛みが走った。
ともすれば骨など簡単に砕けそうな力であったが、しかしアスラは動じた様子も無く、腕を掴むルイの手に己の手を重ねると、酷く愉快気に目を細めて口を開く。

「ところで、此処のお勧めはチーズケーキだそうだ。」
「……?」
「いや、食べ終えた後でこう言うのもなんだけどな。向こうの方でその情報が聞こえてたのが今なのだから、仕様が無い。」
「……まだ、食べるのか?」
突然の話の変わりように若干戸惑いながらも、ルイが青年の声に戻しつつ訊ね返せば、アスラはするりと手を離して。
「いや。今度はそうしようかなぁ、と思っただけで意味は無い。」
そう言うと、唖然とする青年を尻目に残っていたコーヒーを飲み干した。
煙に巻いた態度に、堪らずルイが笑う。
「相変わらず自由だな、君という存在は。」
「それが俺の”理”だからな。」
笑って、それで話は「お仕舞い」。
二人は其処で席を立ち、店を後にする。

店内には尚も黄色い嬌声が渦巻いていたが、彼らは最後まで目もくれなかった。


◇  ◇  ◇


「晴海町に新しく店が出来たそうだ。今度は其処へ行こう、アスラ。」
店を出て、右と左にそれぞれ分かれようと踵を返しかけた時、ルイが不意にそんなことを言った。しかしアスラは振り返りもせず、片腕だけを上げるとただ一言。
「ああ。期待してる。」
それだけを言い終えると、後はもう一人でスタスタと通りの向こうを歩き去っていった。
傍若無人、慇懃無礼。
アスラが消えた方向を見つめながら、深遠の王は低い声で呟く。

「見事に逞しくなったものだ。あれもヒトが持ち得たる強さか。」
世界が壊れ、悪魔の身に堕ちながらもヒトとして生きていた少年は、初め自分の中に微かに残る”ヒト”に縋りついていた。
裏切り、虐殺、邂逅、迷いを経て真の力を手に入れたその代償は”ヒト”であったが、彼はその事実をどう感じたのだろうか。
しかし、それでも彼は生きている。まさに、活き活きとして。
力を持て余しているのか、あちこちを際限無くふらふらしては、気ままに愉しんでいる姿を見る限り、後悔しているようには見えない。
なのに、未だに此方が敷いた運命に上って来ようとしないのはどういうわけだ?
最早”ヒト”というものに執着など無いと思っていたのだが、違うのだろうか。

――もしかしたら、と思う。
もしかしたらアレは、ささやかな抵抗なのかもしれない、と。
他愛ない、小さな――さりとて何の変化も起こせそうに無かった、か弱きヒトとしての最後の抗いのつもりなのか。

「比類なき力を得ても尚、ヒトに縋るか――混沌王。」
ああ面白くて仕方が無い。
彼は、誰かを愉しませるために生きているのでは無い、と言っていたけれど。
「なに、中々では無いか。――くくっ。全くに興味深い。」
深遠の王は愉悦の笑みを浮かべると、街鉄が通り抜けるのに乗じて、その場よりさっと姿を消し去った。

彼の化かし合い、決着などつきもせず。

[ 時の流れを凝視するもの ]