Grimness Maiden
逢魔が来たりて魔笛 07
窓辺にくたりと背を預け、眼下に広がる光景を眺める人影が一つ。
彼の人の横顔はどうにも幼くて、妖しめいた雰囲気は欠片も無い。
「――暇だなぁ。」
呟きを零し、おまけに気怠い欠伸をひとつ。
そんな黄昏たる子供を、少し離れた場所――部屋の中央奥、同じく窓辺に位置する席にて窺い見ていた男は、広げた新聞で表情を隠しつつも驚いた顔をした。
彼の少年には、とかく癖がある。一癖どころか難癖も。
だからだろうか。
こうして彼が”普通”にして居るのを見ると、妙な気分になるのは。
毒気を抜かれてしまうというか、不安定になるというか、とにかく落ち着かない。
そうして観察していれば、窓辺に居た少年が僅かに身体を起こし、再び独り言を零す。
「本当に今日は天気が良い。こんな日は……」
呟くと、不意に視線を、つっと観察者に流して。
「――世界を叩き潰したくならないか、鳴海さん。」
そうしてまるで機嫌の良い猫のように目を細めて笑いかけてきた少年の何とも物騒な発言に、鳴海は勢いよく視線を逸らすと新聞を盾のようにして顔の前に広げて心中で叫ぶ。
前言撤回!
大撤回!
鳴海は更に深く椅子に身体を沈めると、新聞紙越しから聞こえる、くっくと笑う声を聞きながら、子守の番人の帰還をただひたすら祈り続けるのだった。
◇ ◇ ◇
「……帰ったぞ。」
待ち人、戻りて……ああ、本当に待っていた!
「やあ。お帰り、雷ど――」
思い切りほっとして片手を挙げた鳴海に、しかし憮然とした顔の書生は目もくれず、まず足を向けたのは窓辺に居る冷笑を浮かべた少年に対してだった。
少年――アスラは何かを感じ取ったのか、近づいてきた書生を面白そうに眺め、自分から話しかける。
「なんだ。そんなに俺の出迎えが欲しかったのか?」
「……戯言を。」
「じゃあ土産か? 甘味ものなら大歓迎だぞ。」
そう言って両手を差し出したアスラを見て、雷堂は顔を顰めると一歩後ろへ下がった。
身動ぎした外套の下には、包みが一つ。
だが今は差し出すまい。雷堂はそれとは別に胸元を探ると、アスラに向かって言う。
「依頼物だ。――受け取れ。」
雷堂が差し出したのは、一通の封書であった。
紙切れなど。何の足しにもなりはしない。薄い桜色の封筒は甘い予感で膨らんでいるが、アスラの期待はすっかり萎んでしまった。
顰め面をしてそれを睥睨すると、差し出した両手を笑みと共に引っ込めて、溜息を吐く。
「……俺は山羊か。」
こんな下らん土産は要らん、と言って払い除けようとするその腕を、けれど雷堂は、はっしと掴み返して、尚もアスラに言い継げた。
「貴様宛だ。……好みに構わず、受け取れ。」
そう言って、強引にアスラの手に封書を押し付ける。珍しく強気に出た書生の行動に、彼の混沌王は僅かに驚いたような顔をした。
……が、それも一瞬のこと。すぐにいつもの冷笑を浮かべると、猫のように目を細めて言う。
「随分と機嫌が悪いな。この手紙のせいか?」
笑いながらソレをひらひらと目の前で揺らして見せれば、雷堂の頬にさっと朱が走った。
「戯けた言葉遊びよりも、先ずは目を通すが良い! 話はそれからだ!」
「……ふぅん?」
アスラはつまらなそうな声を出して、手渡された封書を見つめる。
束の間の沈黙が室内に流れた。
業斗と鳴海は、口を挟まず諦観している。
時計の針がかち、こち、かち、こち。……三十秒ほど経った頃、アスラが動きを見せた。仕様が無いなといった様子でソファに座り直すと、傍らに立つ雷堂を見上げて言う。
「じゃあ、読んでやるからお前は、お茶とお茶菓子でも出しておけ。」
命令、のち、封書に手を掛けた。
雷堂はびりりと紙を破く音を背後に聞きながら、顰め面をして水屋へ向かうその立ち去り際、振り向かずに言う。
「……珈琲か?」
「ああ。それと、いつものように牛乳と。」
「……本当に貴様は面倒な注文をする。」
不平を吐き捨てて歩き去った書生を一瞥し、アスラはくくっと笑って。
「素直でない。」
なんだかんだいっても、結局はちゃあんと用意してくれるくせに。
そのやりとり見ていた鳴海は業斗と視線を交わし、疲労の溜息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「ラブレターだった。」
鳴海の代わりに手紙の詳細を訊ねた業斗に、アスラは珈琲を飲みながら答えた。
二人と一匹の目が丸くなる。多分、脳裏に疑問符が浮かんだのだろう。それに気づいたアスラが苦笑し、言葉を補足する。
「……恋文、というのか?それだよ。」
「へー。ラブレタァって恋文って意味なんだ。」
素っ頓狂な声を上げたのは鳴海だった。
「お前さんに恋文ねぇ――……って。えぇぇぇ!? 恋文ぃぃ!?」
がたりと立ち上がった男に、冷めた眼差しを向けるはウンザリ顔の書生。
「姦しい。生娘でもあるまいに、何をそう驚嘆することがある。」
「いや、だって、恋文だよ? しかも雷堂じゃなくてその子が! ナンデ!? っていうか、誰から!?」
つい先程まで畏怖していた男は、何処へやら。アスラは話に食いついてきた鳴海に一笑と一瞥の視線を投げると、肩を竦めて答える。
「さぁ? 冒頭が宵待ち草の君とかなんとかで始まっているから、先ず理解が出来ない。」
そして便箋の端を指で弾くと、視線を横へ流して。
「雷堂。コレは、お前宛じゃ無いのか。」
「いいや、それは確かに貴様宛だ。何故なら――」
そう言って、雷堂は事の経緯について説明を始めた。
◇ ◇ ◇
「あの――葛葉さん!」
いつものように街を踏査する為、往来を闊歩していればその背後より呼び止める声があった。
足を止めて振り返れば、其処には女学生が一人。物陰には、その連れ合いらしき女子が身を潜めて(全く隠れていないが)二人居た。
何事かと顔を顰めつつ――生憎と、帽子の庇がそれを隠してくれるので丁度良い――女学生が近づくのを待っていれば、相手は小走りに駆け寄ってくるなり、雷堂の前で両手をびしりと差し出して叫んだ。
「これを渡して下さい!」
当然ながら、雷堂は戸惑った。
「……いや、急に渡せと言われても、誰宛か判らぬのでは」
「――葛葉さんと一緒に居る方です!」
「我と、共に……?」
言われて、雷堂の視線が地面の黒猫へと向けられたのは致し方の無いことだろう。
案の定、業斗が「俺か!?」といったふうに驚く。
そのやりとりを見ていたわけでは無いだろうが――彼の黒猫の言葉は、普通の人間には聞こえない――手紙を差し出した女生徒は、声を張り上げんばかりに叫んだ。
「どうか、宵待ち草の君に渡してください!」
「うん???」
それで、すっかり相手の正体が解からなくなった。
黒猫と共に困惑している書生に、己のことしか見えていない女生徒は矢継ぎ早に言葉を続ける。
「いつも葛葉さんの隣にいらっしゃる凛々しき御仁に、どうか、是非とも、この手紙を……!」
「いや、だから……我の隣というのは一体……――あ、待て……!」
雷堂が話している途中なのにも関らず、用件が済んだ女学生たちは忽ちのうちに逃げ去ってしまった。蜘蛛の子を散らす、とはこういうことを言うのだろうといった様子で。
その場に取り残された麗しの書生は、ただただ黒猫と視線を交差させる。
もしやアスラのことではないかと思い当たるのに要した時間は、それから一刻半と少し。
◇ ◇ ◇
「天下のデビルサマナーも、女学生には形無しか。」
話を聞き終わって、くっくとアスラが笑った。
雷堂がきつい眼差しを向けるも、相手は全く意に介さない。再び手紙に視線を戻すと、つまらなそうな声で言う。
「で、俺はこれをどうしろと?」
「……取り合えず、返事をするべきであろう。是か非かで、答えてやればいい。」
「”はい”と答えてもいいのか?」
にやにやと意味深な笑みを浮かべるアスラに、雷堂は顔を顰めて唸る。
「……良いわけがなかろう。下らぬ冗談を吐くでない。」
「勿体無い。」
「虚言を吐くな。」
「うん、嘘だけど。」
さらりと言いのけて、アスラはシュウクリイムを頬張った。
「それにしても初々しい文章だ。しかも、一目惚れだとあるぞ。」
くつくつと喉奥で笑う宵待ち草の君。鳴海は、おやまあと呟き、黒猫は前足を額に当て、書生はこれ以上ないくらいの重い溜息を吐いた。
三者三様の反応を見て混沌王は愉快気に目を細める。
「――で。相手にまともな返信をしろと?」
「……無碍にすることもなかろう。」
「お優しいことで。」
「……。」
「褒めているんじゃないか。睨むなよ。」
無言で睨みつける雷堂を冷笑でいなすと、アスラは手紙でトントンと己の肩を叩き、そしてソファの背凭れに大きく身体を沈み込ませた。
「よりにもよって、この世界でもらうとはな。」
「……なんだ。貴様の世界では、そういったことは無かったのか?」
「……俺の覚えてる限りじゃ、こういった手紙は貰ったことが無い。」
少なくとも、下駄箱に入っていたりメールで何かしらの接触があったりなどは無かった。
アスラは自分の外見を知っている。
雷堂のように美形ではなく、さりとて取り立てて目立つふうでもなく、本当に普通の――それこそ何の面白みも無い”平凡”たる少年だったのだ。
「……何だかなぁ。」
どこか途方に暮れくれたような声音だった。迷惑というよりは、本当に困惑しているような。
別に同情心が湧いたわけではないが――ああ、哀れみなどでは決してない――雷堂が、躊躇いがちに声を掛ける。
「……文字が書けぬなら、我が代筆くらいはしてやるが?」
そう申し出てみれば、アスラは冷笑ではない笑みを浮かべて雷堂を一瞥し、首を振った。
「いいさ。自分でする。手間取るようなことじゃないだろう。」
それから手紙を見つめ、また少しだけ苦笑する。
照れているのか、それとも可笑しいのか。
この狂王は、時折その外見相応の顔をする。
「なあ……ナナキ。」
「な、なんだ。」
沈黙の後、顔を上げた彼の少年が口元に浮かべたるはいつもの嘲弄。
「今日はチョコレートパフェを食べにいこう。」
「なっ……」
驚いた勢いで時計を見れば、時刻は午後の三時。雷堂が再び視線を目の前に戻せば、アスラはにんまりと微笑している。
否定を許さぬその態度に、雷堂は溜息を吐いた。
其の間にもアスラは既に立ち上がって上着を羽織っており、出掛ける準備をしている。
そして出入り口に立つと、振り返って。
「遅い。早くしろ。」
雷堂は深々と溜息を吐いて踵を返すと、戸口に向かいながら言葉を吐く。
「……出掛けてくるぞ、鳴海。」
「あー……うん。いってらっしゃい……。」
阿吽の呼吸が、今この時ばかりは空しい。衝立に掛けた外套を羽織り、黒猫に視線を落とせば同情の眼差し。
「業斗も来るか?」と一応、声を掛けてみたものの、返されたのは「いいや」という答え。
「ソレはお前に任せた。日没までには帰って来いよ。」
「……何も面倒ごとの全てを我一人に押し付けぬとも良かろうに。」
愚痴めいた恨み言を零した書生の側で、笑う声。
「ナナキ。面倒ってのは、何だ?」
「……言わずとも解かろうが。」
「以心伝心宣言?」
「そんなわけ無かろうっ!」
冗談の通じぬ書生だ、とからかいながら、アスラは肩を並べて外へ出た。
さて、彼の混沌王が恋文の文面を、返信を、どうしたのか。――それは誰も知るところが無いのだが、数日後、何故か匿名でアスラ宛てにシュウクリイムが届けられたのが答えなのかも知れない。
少なくとも、平和的に終わったのだと――そう、思いたかった。