Love For Death
逢魔が来たりて魔笛 08
――どちらが良いのだろう、彼の人には。
「殺すのに何の躊躇いも無いんだが、これは正気なのか、それとも狂気なのか?」
「気狂いが。何を今更。」
唐突にそんなことを相談してみたら、相手は殺意を孕んだ瞳で此方を睨み上げ、物凄い形相で吐き捨ててくれた。
そこには優しさも労わりも慰めも無く、ただただ呪詛に似た罵倒だけがあって。
どういった答えが返ってくるか、どのような答えで返されるのかなどは解っていたけれど、それでも少しだけ――ああ、少しだけ、淡い期待を抱く自分がいたことが可笑しい。思わず自嘲の笑みを浮かべれば、相手が――雷堂が、眉根を顰めて言ってくれた。
「真に気が触れたか、アスラ。」
静寂に浸る深夜。
彼の部屋に於いて戯れている最中での会話だった。
戯れ、とはいっても一方的に、だが。勿論、コチラからの。雷堂の意思では無い。
その両腕を片手で拘束した上で――この程度なら縛るものは必要ない――相手の身体に圧し掛かり、働くは陵辱行為。
友好的になどなれるわけもなく、だから唐突に相談事を持ちかけてみせても、敵意ばかりが返ってくるのは当然ともいえるだろう。
尤も、最初からがもう最悪な出逢いだった。廃墟と化したビルの前、砕けた硝子片が散りばめられた舞台の上が始まりの始まり。
殺意と殺意をぶつけ合うこと、三度。先に追いかけてきたのは彼の書生であった筈なのだが、何時の間にかコチラが追いかける側になっていた。
ああ、あの”鬼ごっこ”は楽しかった。――本当に、愉めた。
赤い地の底、追い詰めて。戦いの果てに勝利したのは、鬼――いや、”悪魔”だった。
敗北などありえなかった。想像もしなかった。
ああ、ヒトに負けるわけが無い。
――今更ヒトになど負けて堪るものかよ。
そうして手に入れた美貌の書生。良い遊び相手になるな、と思った。
その予感は今のところ外れておらず、退屈な日々を楽しませてくれている。
◇ ◇ ◇
「……?」
首筋、脈打つ場所を狙って口付けを落としていれば、相手がくぐもった声を上げていることに気付いた。どうも上がる声を押し殺そうと――何せ塞ぐ手はコチラが拘束しているので――口を噤む努力をしていたらしく、どうにも必死な形相をしている。
そんな雷堂を見て、アスラは愚かだ、と思った。何を我慢することがあるのか、と呆れてしまう。
反抗しても無駄だとすっかり教えてやっているのに、この書生はいつもこうして抗おうとする。
愚かなヒトだ、と思う。
けれど、その意地の張りようが、その誇りの維持が、愛しいとも思う。
「お前はいつも仏頂面をするな。」
からかいではなく褒めたつもりなのだが、相手は嘲弄と受けとったようだ。思い切り顔を顰め眉を顰めて嫌悪を露にすると、視線を逸らして悪態をつく。
「この雷堂、貴様に媚態を曝すくらいならば舌を噛み切って死んでくれるわ。」
「……ふぅん?」
彼の書生――葛葉雷堂は、とかく自尊心が高い。
組敷かれた状態でよくもまあそんな口が利けるものだと、アスラは感心する。本心ではなく嘲笑として。
――少し立場を理解させてやるか。
アスラは僅かな笑みを口元に浮かべると、噛み付かれない距離、そのぎりぎりにまで近づいて、耳元に囁きかける。
「高潔……と言って欲しいのか? 生憎だが、俺には虚勢にしか見えないぞ。」
「なっ……誰が虚勢か!」
「身体の方は素直じゃないか。――例えば、ココとか。」
「……あっ!? き、貴様……っ!」
肌蹴た着物から手を入れて既に自己主張を始めているソレを、ク、と握ってやれば、雷堂は驚きと怒りの色を瞳に混ぜて一層強く睨みつけてきた。
心身共にアンバランスだな、とアスラは思う。
「まだそんな顔をするのか? 悦んでいるくせに。」
「だっ誰が喜、ぶ……っ――あっ!や、や、め……よっ!」
「こんなに丁寧に愛してやってるのに、まだ不満なのか。」
「……何が愛か!」
「愛さ。形など様々だろう? それに――」
アスラはそこで雷堂の顎を掴み上げると、其の赤い瞳で彼の焦点を捕らえ言葉を繋ぐ。
「それに、お前には完全な侵食は効かないようだし。」
「な、……に?」
息を飲んだ雷堂のその唇に軽く静かな口付けを落とし、アスラが笑う。
「過去に受けた呪詛、それがお前の盾となっているな。心当たりが、あるだろう?」
「何故……それを」
ああ、この身。
確かに一度、呪詛を受けたことがある。
貴き方の代わりとして。其の尊き盾となりて。
己が身で受け止めた上で呪いの元を断ち切った過去が、雷堂にはある。
しかしこの少年はそれを知らない筈だが、どうして分かったのだろう? 慧眼ともとれる発言に雷堂は僅かながら感心したが、しかしアスラは例の嘲弄を浮かべると、首を横に振って先を続けた。
「”それ”じゃあ無い。もう一つの方だ。――更に、過去の。」
「……ッ!」
その言葉に、雷堂は本気で絶句した。
瞳にこれ以上無い程の殺気と怒気を混ぜ込むと、アスラを強く睨みつけて唸る。
「……読、心……術、か?」
声が震えたのは、恐怖ではなく怒りの為だった。
あの過去を覗き見ることは、暴き知ることは、何人であろうとも許さない。――赦す事が出来ない。
雷堂の全身に殺気が満ちていく。
素手では敵わない、いいや何を以ってしても太刀打ちは出来ないだろう、この力量差。
だが、それでも。
それでもあの過去を覗いた以上は――……!
ぎり、と歯噛みした雷堂を見て、アスラは溜息を吐いた。
飛び掛かる勢いで身体を起こそうとした雷堂のその肩を、早とちりするなと言わんばかりに押し――それは何とも軽い動作で――再度、寝台に倒すと、声に笑いを含ませて言い返す。
「相変わらず浅薄だな。読心など面倒なことは俺の領分じゃないし、そもそも姑息で趣味じゃない。分かるのは、せいぜいが概観だけだ。」
「……貴様の言の葉を、我が容易く信じるとでも?」
「思うも思わないも、ソレはお前の勝手だ。好きにしろ。」
そう素っ気無く告げると、アスラは圧し掛かる雷堂の上で身を屈めた。
「穿ち過ぎたる思考は盲目になるだけだぞ、雷堂。」
告げて、雷堂の心臓辺りにひたりと耳を押し付ける。
「第一、俺は過ぎ去ったものに興味を持たない。ツマラナイからな。」
目を閉じ、そのままアスラは押し黙る。
過去。
過ぎ去りし世界。
遠い記憶。
あの日に遡り、あの刻を拾い集めることが出来たなら。
何度そう思ったことだろう。何度そう考えただろう。
しかし、所詮は淡い幻想に過ぎなかった。砕けた過去に、崩壊した思い出に、惹かれるものなど何も在りはしない。
ああ、それは身を以って知っている。身を以って思い知らされた。
過去を振り返ってみても、あの時間は戻りはしない。
――”創る”ことは出来ても完全に”作り直す”ことは遂に出来なかったのだから。
「……混沌王、などと呼ばれているが、其の力は実に下らないのさ。」
「阿、須羅……?」
寂しげな声の呟きに、雷堂はハッとして相手を見上げた。両手の拘束は外れており、今なら何かしらの反抗なり逃走なりが出来そうだ。
けれど雷堂はそれらは選択せず、緩やかに擦り抜けさせた右手を動かし、己の胸にすがり付いている少年の髪に触れると言葉を吐く。
「なあ阿須羅。お前の過去に、一体何が在ったと――」
言いかける雷堂の唇を、軽く押さえつけたものがあった。
制したのは指先。ヒトにしては尖りすぎている爪が、まるで警告のように唇の表面をなぞりあげる。くくっ、と低く笑う声がして、胸に顔を押し付けていた少年が顔を上げた。
「ツマラナイ言葉遊びをしたな。……遊びの続きをしようか、ナナキ。」
「待て阿須羅。貴様は過去を――」
問い返そうとしたその言葉の続きは、しかし容易く相手の口付けで飲み込まれ、続きを語ることが許されない。
ああ、踏み込もうとすれば遠ざかる。遠ざける。
今宵の雷堂は、それが少し癪に障った。
「――阿須羅! 逃げるでない! 我の過去は探り暴いておいて、己は委細を語ろうとせぬとは卑怯ではないのか!」
「……煩いな。」
今宵は満月。そのせいで、どちらも些細なことで感情がささくれ立っていた。
「子供みたいに暴れるな。手間が掛かって仕様が無い。」
アスラは再び雷堂の両手を片手で拘束すると、睥睨の眼差しを向けた。
冷える声。先程囁いていた声音はすっかり底冷えの気配を帯びていて。
雷堂は、アスラの肩越しに満月を見る。
赤い月。視線を戻せば相手の瞳が赤く染まっていく様子を目の当たりにし、ぎくりとした。
――狂気が満ちていく。
危機を察した雷堂が口を噤むのを見て、アスラは目を細める。
「……なあ、ナナキ。」
真名喚びが誘うのは、多くの確立で不吉、もしくは禍々しき行い。
身を硬くして身構える雷堂に、与えられるは狂気の笑み。
「世の中には様々な死に方がある。それこそ、色々な死に方が。」
「それ、が……何だと言うのだ。」
禍々しい言葉に眩みながら雷堂が先を促せば、相手はそれこそ艶然と微笑んで。
「ナナキは、腹上死とかに――興味が、有るか?」
そういって身を屈めると、再び心臓にひたりと指先を突きつけてアスラは哂った。
其の一瞬だけ、悪戯を愉しむ子供の顔に見えて憎らしい。
同時に、子供特有の無邪気さでそれを易々と実行しかねなくて恐ろしい。
ああ、それこそ。
否定しても肯定しても、其れは実行されるのだろう。
彼の機嫌を損ねれば、たちまちに。
思考を吟味し、言葉を咀嚼して、雷堂は返答する。
従属の為では決して無く、反逆の意を以って。
「我が死を望むか。――なれば、如何様にもするがいい。」
「……。」
視線の先。見下ろした子供が泣きそうな顔をしているのは、きっと月光の錯覚だ。
母親に手を離された子供のように。
置き去りにされた赤子のように。
どうにも頼りない顔をして呆然としている様は、はぐれた幼子に似ていた。
「……俺が、ナナキを殺す、と――そう言えば?」
俯いた相手が、それでも声に哂いを滲ませて言葉を吐いたが、しかし脅威すら感じない。
強がっているような、そう、正しく虚勢にすら見えて――悲しい。
けれど雷堂は真っ直ぐに相手を見据えると、更に切っ先を突きつける。
「そのようにすればいい。だが――」
「……だが?」
救いでも求めるような眼差しには気づかぬ振りをして、書生は深々と刃で貫く。
「其の”戯れ”の代償に、貴様は何を失うのであろうな?」
「……。」
相手の肩が微かに震えた気がした。
愛も死も、彼の中ではどうでもいいことなのだ。
遊び相手が居ればそれでいい。
……それだけでいいのだ、きっと。
――さて今宵。
彼は、どちらを選ぶのだろう?