Chocolate Modern
逢魔が来たりて魔笛 09
「――甘いものが食べたい。」
背後から抱きついた少年が、まるで子供のオネダリのような言葉を吐いた。
しかし抱きつかれた相手側――雷堂はというと、肩越しに少年を睨み付けただけで返事をしない。
いや、出来ないといったほうが正しいか。何故なら雷堂の全身には緋色の帯布が巻きついており、それが行動を制限していたからだ。
切り払うなりなんなりして解けば良いだろう――と思う(実際、雷堂も考えた)が、この少年が扱うものが平凡なわけが無い。呪詛か結界か、帯布は巻きついた瞬間から魔力を奪い、雷堂は動作の一切を封じ込まれてしまったのだから。
ああ、そもそもこの少年からして非凡たる存在なのだ。
異世界の混沌王、人修羅――アスラは、今日も己の退屈を紛らわせる為に同年代の青年に遊びをねだり始める。
何よりも高慢に。
誰よりも我侭に。
◇ ◇ ◇
「返事が無いな? どうした。」
「……。」
何時まで経っても返答の無い雷堂の顔を、アスラが肩越しから覗き込んできた。
「ん……――ああ。」
そして、気付く。帯布が雷堂の口元を覆ってしまっていることに。その為に、彼の書生が声を出せないでいることに。
呪縛の力が強すぎたか、と苦笑しつつ――そこに反省の色は全く無く――帯布に手を掛けた。
「これのせいか。――そら。」
「……っは。」
力の緩急と同時に、するりと帯布が解けた。僅かな息苦しさから解放された雷堂が、その形の良い唇から安堵に近い溜息を吐く。
声が出せるようになったのは、せめてもの救いか。
――いや、単に気まぐれだろう。彼の少年はいつも己の退屈さを持て余しており、何かにつけて雷堂にちょっかいという名の面倒ごとを持ち込んでくるのだから。
現に、解けたのは口元のみであり、肢体は未だその帯布に自由を奪われたままである。己の力では、どうにもならなかった。
弱輩ながらも雷堂はデビルサマナーとして高い能力がある。だから呪の類などはお手の物であったのだが――この少年の力はそれ以上に凄まじく、何を以ってしても解呪は敵わなかった。
流石は混沌王、だと実感する。
ああ、それこそ世界を飛び越えてくるほどに。
ああ、それこそ何時でも世界を壊せるほどに。
「これで、会話が出来るだろう? さあ、答えろ雷堂。」
”見逃してやっているのだからコチラの暇潰しに付き合え”と暗に示したこの行動は、ともすれば憐憫である。
”誇り高きデビルサマナーが悪魔のいい様に弄ばれている。”……その事実に気付いて、雷堂はぎりりと歯噛みしたが、それでも声だけは極力冷静さを努めて――激昂すると相手の思う壺だと理解していたので――静かな口調で、相手に言葉を返す。
「此れは何の酔狂だ……人修羅。」
敢えて別称で呼んだのは、せめてもの反抗だ。
「……ほう。」
アスラが目を細め、薄い笑みを浮かべたまま少しだけ手を動かすのが見えた。
途端、雷堂の首元に巻きついている帯が絞まる。ぐ、と雷堂は呻くが……辛うじて、怯みはしなかった。それどころか、睨みつける眼光の鋭さを増してアスラを威嚇する。
しかし、相手は浮かべる嘲弄を崩さない。ヒトの抵抗など他愛ないぞ、雷堂――と、言葉の変わりに口端を吊り上げ、実に妖艶な微笑で以ってその殺気を飲み込んだ。
「……他愛ない。」
ぺろりと舌を出し己の唇を舐めて、アスラは笑ってみせた。
蜜毒たる彼の狂気は、雷堂の殺気よりも深々と輝いていて。
流石に雷堂がそこで思わず怯めば、狂気の王は穏やかな声で言った。
「ところで、俺が許したのは殺意ではなく返答だが?」
帯布がぎりぎりと喉肉を締め上げる。雷堂は苦痛に顔を歪めて肩越しに睨み付けたが、相手は、それは返答じゃないだろう、といった眼差しで締め上げる手を止めようとしない。
眩みはじめる視界の中、雷堂は口を開く。
「……会話を、求める……なら……っ……相応の礼節、くらい……弁えよ!」
従順ではなく非難の言葉を吐いた書生に驚いたのか、締め付ける力が緩んだ。
ははっ、と背後で笑い声が上がる。
「気丈だな。」
その声は実に柔らかで、本当に感心している節があった。背後から赤い帯布を手の甲に絡めたままの腕が伸びてきて、雷堂の胸元に巻きつく。まるで抱きつくように。
「これなら良いか?」
「……この呪布は外さぬのか。」
譲歩した相手に、しかし雷堂は硬い声で質問を重ねた。すれば背後でまた笑う声。
「気丈というか、そこまでいくと頑固だな。」
耳元でクスクス笑う声には狂気も冷笑も無く、純粋に楽しんでいる様子が感じ取れた。
――ああ、いつもこういう態度で居れば良いのに、と雷堂は思う。
こうしていればヒトに見えるのに。
悪魔のふりをしたヒト。
ヒトのふりをした悪魔。
どちらがこの少年の本質なのだろう、と雷堂は惑わされる。――だから付け込まれるのだと、気付きもしないで。
雷堂に抱きついていた少年は、ひとしきり笑った後で途切れた会話を再開させた。
「この状況は、お前の返答次第でどうとでも変わる。」
胸元に沿って滑らせた手が雷堂の顎を掴んで、背後の声は続けた。
「束縛か、解放か――己の運命を選ぶのはお前だよ、ナナキ。」
真名を読み上げて告げたるは宣告。
声に圧力は無い。
選択肢は二つ。だがこの状況、彼が浮かべる笑みを見た限りでは片方は在って無いも同然だった。
「……。貴様の要求は何だ、アスラ。」
今回は素直に諦観した方が被害もずっと少なくて済むだろう――そう判断した雷堂は屈従の意思を見せたのだが、相手が軽く溜息を吐いた。
「難しい口述を吐いた覚えは無いが?」
そう言って、きゅ、と雷堂の頬を抓った。
甘噛みに似た動作に雷堂はぎくりと固まり、言葉を詰まらせる。
これだ。
この、ヒトじみた行為。
狂気と悦楽にしか興味の無い少年が時折みせるこのヒトらしさに、雷堂は抗う術を見失ってしまうのだ。
甘えたいのか。
縋りたいのか。
己のことを決して語らないくせに、内面に踏み込ませないくせに、どうしてこのようなことをするのか、と言いたくなる。
纏まりきらない思考と格闘している雷堂を余所に、アスラは頬から手を離して言葉を繋げて来た。
「甘味が欲しい、と言っているんだ。返答は? 雷堂?」
「……我が貴様に金銭を消費する道理は無い筈だが?」
それは、よくよく考えれば分かる願いだった。この混沌王は何故か妙に甘いものを好む。
莫迦な質問を返してしまったと苛立つ。
その八つ当たりというわけではないが、雷堂が質問に質問で応じ返せば、相手が首を傾げて。
「ん。金が欲しいのか?」
右肩を掴んでいたアスラの手が動いた――かと思うと、雷堂の目の前に何かを捧げて見せた。無色ながらも絶対なる硬度を持つ多角結晶は、強い魅力で視線を惹き付ける。
「金剛石――ダイヤモンドか!?」
しかも、其れは一つではなかった。枇杷ほどの大きさで、ニ、三個。それが、アスラの手の内に在った。
「……。」
すっかり押し黙った雷堂を見て、アスラが更に首を傾げる。
「どうした。ダイヤモンドじゃ不服か? 俺としてはルビーのほうが好みなんだが、雷堂もそうなのか?」
二の句が告げない雷堂の前で、アスラは一度手を引っ込めた。そして再度目の前に差し出したその手が持っていたのは、真紅が美しいルビー。数と大きさは、ダイヤモンドと同じであった。
無造作に多数の宝石を取り出したる少年に、書生は遂に叫び声を上げる。
「……アスラ! 貴様、無一文では無かったのか!」
問えば、相手は肩を竦めて。
「無銭だが、所持していないだけだ。」
財布など持っていても買い物などする気が無いし、そもそも雷堂にしか強請らないからなあ、と言いのけた顔の、その悪びれていないこと。
「阿須羅……貴様ぁ……!」
雷堂の中に、ふつふつと何かが込み上げる。
莫迦にされていた、と憤っているのではない。ただ、騙されていたのか、と感じる。これは怒りと呼ぶべきなのだろうか。
それとも――悲しいのだろうか。隠し事をされていたから、悔しいと……感じて?
「そう怒るなよ。無一文だと勝手に決め付けた、お前が悪い。」
怒りの形相で睨みつける美貌の書生の頬を宥めるように撫で、アスラは柔らかに笑いながら言葉を繋げる。
「貨幣は価値が変動するから持ち合わせていないが、コレくらいならばどうにでも出来る。そら……くれてやる、雷堂。」
アスラの声と共に、宝石が滑り落ちる。煌く塊は滑らかな軌道で制服の布地を伝い、雷堂のポケットへ、ころり、ころり。
ダイヤモンドとルビーが、それぞれ三つずつ。ずしりと重みを感じたところで雷堂が視線を落とせば、ポケットが異様な形に膨らんでおり、思いきり口が開いていた。……ポケットの意味が無い不恰好な様を曝け出して。
毒気を抜かれて雷堂が溜息を吐けば、その首筋にアスラの含み笑う声と吐息が掛かる。
「さあ、コレで甘味を奢れるだろう? 連れて行け――ナナキ。」
「……富士子パーラーか?」
「そうだな。チョコレートが飲みたい。」
「チョコ、レイト……? ……ああ、あの汁粉に似たものか。」
「似てるか? ……まあ、他に例えようが無いからそうなるのか。」
苦笑してアスラが体を離した。雷堂を縛していた赤は何時の間にか消えていたが、それを雷堂が不思議に思うことは無い。何せ宝石を容易く作り出したくらいだ。この程度、造作も無いのだ。
不恰好なポケットが目立つので、外套を羽織って隠すことにした。
後で金王屋か業魔殿に寄ってどうにかしよう……と考えていれば、不意に肩を抱き寄せられた。
隣接、笑みを浮かべた少年が言う。
「今回は、ナナキも同じものにするんだぞ。」
「我は、そう甘ったるいものなど――」
「――口移しで飲ませてやろうか?」
「……っ! 愚かなことを!」
「ならば分かっているな? さあ、行こう。」
そう言うなり強引に手を繋いで前を歩き出した少年は、まるで楽しさに浮かれる子供のようで――。
「……このように無法な子供が居るものか。」
「――性質の悪い大人とドッチが好みだ?」
雷堂の呟きは聞こえていたようで、肩越しに振り返ったアスラがそう訊いて笑った。
当然ながら、答えは返さなかった。