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Junked Joker

逢魔が来たりて魔笛 12


跳ねる。
跳ねる。
跳ねる。

夜。
月を背負い、屋根を伝って、人影が一つ跳ねる。
紅玉のように赤い瞳を煌かせ、まるで恋人に会いに行くヒトのように闇夜を駆け抜けていくその姿は、まるで浮かれた兎のよう。
軽やかに、踊るように、夜を伝い流れる。踏み付けられた街灯が、乾いた音を立てた。
その音を聞きつけたらしい薄闇に潜む人ならざるモノたちが何事かと空を見上げるが、踊る影の”正体”に気づいた途端、ヒィッと悲鳴じみた声を零してまた夜に溶けていく。
疾駆者は、そんな彼らに冷笑の一瞥を向けると、直ぐに興味を失ったように前に向き直って夜の闇を駆けていく。
影兎。
夜よりもなお昏い気配を引き連れて、真っ直ぐに向かう。
その行く先にそびえるは、楼閣の名を冠した建築物。


◇  ◇  ◇


冷ややかな夜。
窓辺から、室内を窺う青い人影があった。寝台の上の眠り人は、此方に背を向けている為に顔が見えない。
彼はいつもそうだ。そのようにして、コチラを少しでも困らせようとする。
狡い策士。
だが拙い錯視だ。こんなものは、子供騙しに過ぎない。
「それで隠れたつもりか?」
窓辺の人影が薄い笑みを浮かべるのを、月光が照らす。
その手が伸びて、窓枠に掛かった。
だが――枠は動かない。鍵が掛けられているのだ。
それどころか、触れた手に微かな痛みがあった。
よくよく見れば、窓枠には符が貼られているのに気づく。文面は読めないが、朱で書かれたそれには警告を思わせるものがあった。
締め出された人物は、それを見て目を細める。
「退魔符、か……ははっ。」
薄闇の中で三日月形に変わる金色の眼には、何かを面白がっているような色があった。吐息のような囁きが、夜気の中に零れる。

「今更何の冗談だ、デビルサマナー?」
くくっと笑う声がして、閉ざされた筈の窓は容易く開かれてしまう。
からりと窓枠の滑る音に、そこでようやく眠り人が反応した。


◇  ◇  ◇


「何奴――……っ!」
ハッと息を飲み、振り返ったその瞳は驚愕に見開かれていた。
しかし、それは鍵が開けられたことに対するものでは無い。
闇の中に、茫と浮かぶ人影。雷堂の視線はその人物にではなく、彼の側の窓枠に向いている。そこには原型を留めていない焼き切れた符があり、もはや灰塵と化して僅かに木の枠を煤けさせていた。
そこそこに強い呪符も、やはりあやつには通じぬか――雷堂は舌打ちし、相手を睨みつけながら枕元に立て掛けていた己の刀に手を伸ばした。
刀を握り締めながら吐くのは、歓迎の言葉などでは勿論無い。

「彼の夜分、何しに来た――人修羅。」
問えば、青い影が揺らめいて室内に入ってきた。
雷堂の居る寝台の上に降り立つと、彼を見下ろして笑う。
「お前に会いに来たのさ、雷堂。」
「我に? ……何用だ?」
「それを、わざわざ言わせるのか? 無粋だな。」
「……言葉遊びに興じる気は無い。答えよ。」
「アスラ。」
「なに……?」
「俺の名前だ。教えてやっただろう。なのに、いつも先にその名を言う。さては意地悪のつもりか、雷堂?」
身を乗り出し、アスラが喉奥で笑う。
急に近づいた距離に何かを感じた雷堂が身を引こうとするも、行動を読むのはいつもアスラのほうが早い。あっという間に腕を掴まれ、その場に縫い留められた。
「折角だから、お前の質問に答えてやるよ。」
暗い室内、見詰め合う獣。笑みの形に金色の瞳が歪む。

「夜這いしに来たのさ雷堂、お前に。」
「なっ……!」
アスラの囁きに、雷堂がビクリと身を竦ませた。
少年ながらも彼の狂王は、鳴海以上の狂気を孕んでいる。これまで、何度酷い目に合わされたことかしれない。
我が身に訪れる狂宴を想像した雷堂が歯噛みしてアスラを睨みつければ、そこで不意に相手の視線が柔らかくなった。

「く、っふふ。はは……冗談だ。今日は、逢いに来ただけさ。」
そう言って雷堂の髪を梳き、頬に手を添えると軽く口付けを落とした。
「な、に……を。」
てっきり、いつものようにコチラの意思もお構いなしに強引な――ああ、明確な表現はしたくない――行為をされるかと思っていた雷堂は、アスラのこの行動に絶句する。
傍若無人。傲岸不遜。
なのに、どういった理由がそうさせるのか、時々この少年は妙な優しさを見せることがある。――ヒトの面差しを見せて。
驚きに暫し固まったままの雷堂を見て、アスラが苦笑を浮かべた。
「どうした。警戒が解けているぞ、デビルサマナー。」
揶揄する台詞は、けれど柔らかい声音でいて雷堂を戸惑わせる。
「良いのか、こんな間近にアクマを近づけて。」
するりと頬を撫でる手つきは優しいが、それはまるで慰めるような仕草だった。
「いつもの殺意はドコへいった?ほら、ぼんやりするな――」
顔が近づき、雷堂は目の前に鮮やかな満月を見る。

「――喰われてしまうぞ、ナナキ。」
重なる唇。不思議と抵抗する気は起きなかった。

「んっ……っふ、ぁ」
雷堂が素直に口を開ければ、侵入してきた舌が褒めるように口蓋をくすぐり、滑らかに絡んできた。時々、軽く唇を食まれるが、それは甘噛みに似た強さで、口の中に血の味が広がることは無い。
「……っは……何故、だ? ……何故、こんな――」
長い口付の後で、ようやく口を開いた雷堂が投げかけたのは疑問。アスラはとっくに雷堂から離れていて、少し距離を置いた状態から言葉を返す。
「俺は”企みごと”には敏感なんだ。」
「なっ……」
「今日は、やたら驚くじゃないか。……何がお前を脆くさせているんだろうな?」
肩越しに振り向いて苦笑を見せるアスラの瞳は、金赤に変じていた。何もかもを見透かしているような瞳は、知っている猫を思わせて――雷堂の胸が、どくりと鳴る。
この十四代目の目付役――ようやく相棒となれた矢先に、空に散った大切な黒猫。
遠い黄昏の向こうに行ってしまった。
……逝ってしまった! 猫らしからぬ笑みを見せて。
期待と、さよならとだけを残して。

「業斗、は……業斗は――……!」
「――自分の為に死んだ、とか言うなよ。」
緋色の瞳が、怜悧な声が、雷堂の弱音めいた言葉を寸断する。
「業斗は自分で決めたんだ。己の運命を決めたのは、業斗自身だ。お前の為じゃない。」
距離が開いているのに、その声ははっきりと雷堂に聞こえた。

「――お前のせいじゃないんだよ、ナナキ。」
そう話すアスラの瞳は血に濡れた赤ではなく、自分が恋焦がれる別世界の鏡面存在のものとよく似ていた。
「ああ……ああ、そのようなことは知っておる! ……業斗は、業斗童子は、我に己の死を押し付けるようなことはせぬ!」
叫び返した雷堂の瞳は僅かに潤んではいたが、声には凛とした覇気があり、先程まで漂わせていた弱々しい影は無くなっていた。

「……なんだ。ちゃんと解っているじゃないか。」
アスラは穏やかな笑みを浮かべると、相手に背中を向けて窓辺に寄った。
帰ろうというのだろう、自らが開け放ったその窓枠に手をかけると、ちらと雷堂を見遣って告げる。

「――さて、と。今日の暇潰しはココまでだ。」
「待てっ人……――阿須羅!」
思わず声を張り上げて、雷堂は窓辺に身を乗り出した相手に向かって駆け寄る。
「またな――ナナキ。」
けれど自由奔放な少年王は雷堂の制止に聞こえない振りをして、宵闇に身を躍らせた。
「阿須羅!」
雷堂が窓際に辿り着くも、外に広がっているのは帝都と夜の帳ばかりで、少年の姿はどこにも無い。所在無げなく掴むものも無い中空に手を伸ばした雷堂は、その虚空を見つめて呻いた。
「……、待て、人修羅――アスラ、貴様は何故いつも……!」
どうしていつも、此方の心を掻き乱して去るのか。
どうしていつも、それ以上何も求めてこないのか。
何と勝手な振る舞い。
何と一方的な優しさ。
「貴様は何故そうも気まぐれなのだ……阿須羅。」
酷くされるかと思ったのに、なのに優しいだけで終わって。
いっそ、酷いことをされたほうが良かった。この喪失感にそれを上書いて塗り替えれば、この胸の痛みも、きっと治まったことだろうに。
鳴海より憎く、忌まわしく、禍々しい存在。
それなのに……どうして。

「我は貴様が嫌いだ――……嫌いだぞ、阿須羅……!」
吐き捨てる雷堂の声はしかし言葉とは裏腹に嫌悪感が全くなく、それどころか縋り付くようなものでいた。

[ 夜に這い寄り添うもの ]