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Raincoat Guardian

逢魔が来たりて魔笛 13


銀楼閣屋上に続く扉を開けた雷堂は、そこで見慣れないものを見つけて眉根を寄せた。
大きな蝙蝠傘らしきものと、寝椅子のような長さの奇妙な椅子。
雷堂は軽く眉間を揉むと、そのまま真っ直ぐに椅子に近づいた。そして、そこに体を預けて空か景色かを見つめている少年の背に向かって声を掛ける。

「此処で何をしておるアスラ。」
質問に、相手が肩越しにちらと雷堂を見返して答えた。
「バカンスを楽しもうと思ったんだが――」
話しながら再び前方の景色に視線を戻し、ふうと息を吐く。
「……時期を間違えたなあ、と絶賛後悔中だ。」
語るアスラの声に混じるようにして、ばたばたばたと雨音が聞こえる。大きな蝙蝠傘らしきもののお蔭で、アスラも雷堂も濡れずに済んでいるのだ。
雷堂はどんよりした鈍色の空を一瞥しつつ、口を開く。
「この驟雨の中で何をしようとしていたか、知る気も追及もせんが、これもお前の好む享楽の一種なのか?」
雷堂の皮肉めいた物言いに、アスラは少し笑っただけで振り向くことなく言う。
「そうだな。ココは天候の変化があるから……楽しい。」
雨に降られようとも。
太陽に灼かれようとも。
この世界の全ては、まだ本当の”理”があるから――まだ壊れていないから、羨ましい。

「雨見だと思えば意外と楽しめるものさ。」
予定はいつも裏切られた。裏切られてきた。
だから大丈夫。
何とも思わない。何も感じない。
淡々とアスラが話す間、雷堂は口を挟まなかった。ただじっと、彼の言葉に耳を傾ける。
「それに、こうしていると実感できるんだ。……俺は、情けない存在なんだと。」
覇気なく笑う声は、どこか乾いていた。
雷堂は眉根を寄せて、そっと彼の横顔を窺う。アスラは空を仰いで、目を細めていた。その横顔には、風で吹き込んだ雨の名残か、水滴が幾つかついている。
(……涙? いや……雨、か?)
目尻から頬を伝って流れるソレは、どちらだろう。
何が情けないというのか――雷堂は、心の中でアスラに反論する。
この十四代目どころかヤタガラスすらを恐れさせ、ともすれば壊滅することが可能であろう力を持っているというのに、なんと愚かなことを言うのだろうこの少年は。

……ああ、そうだ。少年だったのだ。
大人になる前に運命を変えられた、かつてはヒトの少年。

「悔いておるのか。」
敢えて雨音に掻き消えるような声音で訊ねたのは、答えを求めていないからだ。
けれど、アスラの耳は雷堂の声を拾い上げたらしい。ふ、と吐息めいた笑い声が聞こえた。
「いや。どうせ刻が戻ったところで、俺の運命は、きっと――同じことを、繰り返す。」
「……。」
そんなことは無い、と雷堂は否定しない。彼の運命を決めるのは、彼自身だ。安易な言葉は、何の役にも立ちはしない。慰めにもならない。
雷堂は一度、目を閉じる。
己は、彼の少年に何をするべきか。
少しして、目を開けた。
ああ、いつものように接すればいいのだ。
「……手ぶらで来たのか。」
「ん? ……ああ。晴れていたら、現地調達する予定だったからな。けど、まあ、この雨だろう? 面倒くさくなってな。」
振り返り、わざとらしく肩を竦めるアスラは飄々としていたが、雨煙で霞んでいるせいか小さく見えた。
勿論、幻影だ。都合のいい幻覚だ。
雨はやや強くなったようで、傘に打ち付ける雨音が大きく聞こえる。不明瞭な視界と、雑音の大きい周囲。これでは”まともな”判断もできないのは当たり前だ――そんな”言い訳”を心に浮かべつつ、雷堂は手を伸ばしてアスラの腕を掴んだ。
「何だ?」とアスラが雷堂を見る。
俺を捕まえるのか、デビルサマナー?と嘲笑を浮かべるアスラをキッと睨んで、言った。

「何故こうなってもお前は無頓着なのだ。」
「うん?」
「腕が冷たい! 体が冷えておるのだろう!」
「ん……そりゃあ、外に居るからな? 雨、だし?」
「常に言っておろう! ヒトで居る間はヒトらしくせよと!」
「……。」
お前も忘れていないか、俺はアクマなんだぞ?と目が文句を言っていたが、雷堂は敢えて無視を決め込むと、更に強い声で言った。
「雨が酷くなってきた。屋内へ移動する。立て、アスラ!」
「いや、俺は雨見を」
「そのようなものは室内からでも可能であろう! いいから立て!」
そうして傘を持ちつつ、雷堂はアスラを引き摺るようにして屋内へ連行する。
強い雨音に混じって、苦笑する呟き。

「お前が見ているソレはきっと幻覚だぞ、ナナキ。」
俺は弱いニンゲンじゃないし、絆された瞬間を狙って狡猾な罠を仕掛けるアクマだぞ。
お前が俺に何を見ているのかは知らないが、俺は――。

重い扉が軋んだ音を立てて閉まるのに合わせて、雷堂が呟く。
「そうやって優しさを見せるお前の何がアクマだというのだ、莫迦者。」
強引に繋いだ手はまだ少し冷たいが、やがては温かくなるだろう。……彼の心が温かさを取り戻すかどうかは分からないが、それでも我はお前を――……。

扉が閉まった。
遮断される雑音。
廊下を歩きながら、会話が再開される。
「俺を連行するのは良いが、甘いものはあるんだろうな?」
「ああ。丁度、来客用に買った茶菓子が余っておる故な。」
「……ふうん。」
つまらなそうな声。洋菓子でないのが不満なのか。我侭な子供を思わせる反応に、雷堂が失笑しつつ補足する。
「葛桜は美味だぞ。お前の口にきっと合う。」
「くずざくら?」
「ああ。だがその前にお前は体を温めるのが先だがな。そうだな、我が用意する間、葛湯辺りでも飲んで待っていよ。」
「……”葛”尽くしなのは気のせいか?」
「偶然だ。」
さらりと答えて、雷堂は繋ぐ手を一瞥して笑う。

ああ、戻ってきたなアスラ。
言葉を間違えなければ我侭な子供でしかないヒト。
弱味に付け込む良い機会だったのだろうが、どうでもいい。

気の迷いか、それとも自分は体よく騙されているのか。
ああ、そうだ。雨煙に揺らめく彼の少年がどうにも脆く見えたから、それに騙されてやっているのだ、と雷堂は誰ともなく言い聞かせて、ひっそり笑う。
この手にあるものが今は真実なのだから、答えはそれでいい。

[ かつての世界を想うものに添うもの ]